コラム~成蹊ラグビー

俊寛僧都

2018/04/10(火) 11:10

俊寛僧都
ご存知の方もいると思いますが、平家物語の登場人物で平家打倒の密謀の首謀者の1人として、1177年に鬼界ヶ島に流された人物です

密議をしていた場所は京都の鹿ケ谷 京の夏の風物詩である五山送り火の『大』の字が炊かれる山麓の辺りにある俊寛の山荘で行われた密議は平清盛の知ることとなり、後白河法皇に近い人物であった俊寛は打ち首獄門を免れ流刑となってしまいました

流された所は鬼界ヶ島、現在の鹿児島県三島村の硫黄島と言われていますが(有名な東京都の硫黄島ではなく・・)、屋久島の北にある小さな島に流されました

流されたのは俊寛、藤原成経、平康頼の3名
翌年(1178年)島に船が着き、俊寛以外の2名は赦免され都に戻ることになりましたが、密議の張本人とされた俊寛は赦されずに島に残され、絶望の果ての1179年の今日(4月10日)に亡くなりました

この俊寛僧都のことを題材にした歌舞伎に「平家女護島」と言うのがあります 
これは、近松門左衛門の人形浄瑠璃を基に作られたもので、18代目中村勘三郎が流されたと言われる硫黄島で演じたことでも有名です

平家物語は諸行無常、因果応報を伝えています
俊寛僧都は流刑されてからは人が変わったように心を入れ替えて良人となったようですが、都で公家出身の僧侶として権勢をふるっていた時には、いわゆる「嫌な奴」として有名だったようで、その所業により赦免されなかったとも言われています

そんな俊寛僧都の命日に「因果応報」 自身の言動を省みることにしました

2018.4.10
SRFC Taro.S