コラム~成蹊ラグビー

ラーメン博物館

2018/03/06(火) 10:25

1994年の本日3月6日にオープン
オープン当時 新横浜駅前ではあったが、現在のようにビルが林立するようなところではなくまだ空地も多く、こんなところにこんなものを建てて大丈夫なんだろうかと思っていた

銀行員時代に知り合いとなった知人がこの博物館をプロデュースした関係でオープン記念パーティーに招待され、当時出店していた全てのラーメンを食べつくしてお腹がはちきれそうになった思い出がある

この土地はとある有名な女優の実家の所有地
新横浜駅前の広大な土地に駐車場ビルを建設しようと考えてはいたが、単なる駐車場の建物だけを建てても面白くないという発想から取引先の提案を受け入れ実現させたものである

知人は有名な空間プロデューサーであり、かつてよりすでに日本の代表食なっているラーメンを『日本の文化』として捉え、そのためには博物館を建設してアピールすべきだと考えていたらしい
コンセプトは昭和30年代の日本のどこでも見られた風景 チャルメラの響き 紙芝居の行商、駄菓子屋、朝から夕方へのむかう日暮れ時のライトによる演出などもある

当初 知人は『そうは言っても3年間もてば大成功』と話していたが、現在でははとバスツアーに組み込まれるほど有名な観光地となってしまった

このラーメン博物館がなぜ24年間も続いているかと言うと進化し続けているからだろう
オープン時に僕がお腹いっぱいになった理由として、いろんなお店のラーメンを食べたいと訪れる来場者に応えるような工夫がなされておらず、普通盛りのものを何店も食べ歩かないといけなかったのが、来場者の要望を受け入れ、いわゆる「小盛」を出して、より多くのお店のラーメンを食べることができるように各店舗に工夫させたのも進化の1例だと思うし、オープン当時からもう何店になるだろうか・・全国各地の有名ラーメン店の出店を実現させ、活性化することも忘れていない
また、来場したことのある人はわかると思うが、1階はその名の通り博物館となっており、頻繁にではないが趣向を凝らした展示会なども行っている まさに『博物館』として立派に認知されているのだ

昨年の三沢競技場での青山学院大戦・・・台風直撃 びしょ濡れになったにもかかわらず、ここまで来たのだからとどうしても訪れたい おいしいラーメンを食べて冷えた身体を温めたいと思って盟友O君と向かったが、ものすごく混雑していたので入館をあきらめたことがいまでも残念に思っている

2018.3.6
SRFC Taro.S