マネージャー日記

藤本健友 短期留学in Australia

2011/06/20(月) 23:20


ホームページをご覧の皆様こんばんは。今回は3月から6月までの3ヶ月間オーストラリアに短期留学をしていた3年の藤本健友の特集です。

ホームページをご覧の皆様こんにちは。成蹊大学ラグビー部三年の藤本健友です。私は今年三月の中旬から三ヶ月間、部活に休みをいただき、オーストラリアのシドニーに留学してまいりました。
今回は、わたしがオーストラリアで経験してきたことを、こちらで紹介させて頂きたいと思います。
私が留学をしてみたいと考えたのは、異文化に触れてみたいという中学生の頃からの夢と、本場ラグビー大国で、自分がどこまで通用するか試してみたかったという2つの理由からでした。しかしながら私には留学するための費用もツテも何もなかったため、両親に留学をしてみたいと相談するしかありませんでした。留学には三ヶ月間という短い期間であっても多額のお金が必要になるため反対されても仕方がないと半ば諦めていたのですが、両親は二つ返事で留学することを許してくれました。この時ほど感謝したことはありません。私の留学という夢に大きく近付いた瞬間でした。
私が留学先としてはじめ行く予定だったのはNZのクライストチャーチでした。元日本代表主将、現在NTTドコモレッドハリケーンズのヘッドコーチを務めるアンドリュー・マコーミックさんが、ホームステイの手続きから、語学学校、そして事前にNTTドコモさんの練習に参加させて頂き、どのクラブチームに入るかというのを決めて頂いたりと、全ての話を進めて下さいました。しかしながら出発一週間前にクライストチャーチでM6.3の大地震が起き、私が通う予定であった語学学校も被害にあい、留学の話は全て白紙に戻ってしまいました。
私の周りの家族、友人は地震に巻き込まれなかっただけでも運がよかったと言ってくれましたが、それよりも留学することが出来なくなったという虚無感の方が大きかったことを覚えています。
それから何日かは留学のことを考えないようにしていましたが、クライストチャーチ地震から3、4日が過ぎた頃、唐突に父が留学先をオーストラリアに変えようと私に言ってきました。そこからは一週間もしない内に話しがまとまり航空券も取ることが出来、出発の日がやってきました。出発しようと家を出たところで、皆さんもご存知のあの東日本大地震が起き、当然その日は飛行機も飛ばず、翌日空席待ちで10時間並び、出発10分前に搭乗許可がおり走って飛行機に乗り込みました。
飛行機を降りるとそこに日本の慌ただしさはありませんでした。気候は日本とは正反対のため、シドニーは夏の終わりごろでしたが気温は30度を超えていました。ちなみに私は英語をほとんど話すことも、聞くことも出来ない状態で単身乗り込んだため、初めてホームステイ先の家に着いた時は挨拶だけしか出来ませんでした。
こちらでクラブチームや語学学校などの手続きをして下さったのが、こちらも元日本代表のホポイ・タイオネさんでした。父とは大学時代からの同期の仲で留学の話しを持ち出したところ喜んで話しを進めて下さったそうです。


もう1人の父であるホポイさん

さて、私のシドニーでの生活ですが遊ぶ時間というのははじめの二ヶ月間はほとんどありませんでした。月曜から
木曜は語学学校が9時から2時半まであり、火曜、木曜はラグビーの練習。土曜は試合。それ以外の月曜、水曜、金曜はフィットネス向上のためボクシングをしていました。学校が終わるとジムに行き、ジムが終わると練習。というハードスケジュールが続きました。


一緒に学校に通っていた仲間たち

私の所属していたラグビークラブはGORDONと言って数あるシドニーのクラブチームの中でも強い、20歳以上のチームです。オーストラリアでは一つのチームにつきグレードが4つにわかれていて、その下にコルツが3つありました。最初は誰でも4グレードから始まるため4グレードは控えの選手も多く、入ってから三週間は試合の出場時間もほとんど与えられず、全く出られない日もあったため、こっちに来てまで、ラグビーをする意味があったのかと自問自答する日々が続きました。しかし一ヶ月を過ぎると段々とチームメイトとコミュニケーションもとれるようになり、二か月が経ったところでグレードが1つ上がりました。時には身長2mを越す選手やプロップのような体をした選手が自分の前にいることもあったので、毎試合の次の日は体中が痛く、唯一の休みである日曜日も遊びに行く元気がありませんでした。


GORDONクラブでは14番で出場していました

初めの一ヶ月はとにかく話もまともに出来ず、何を言っているかも理解できないため正直、本当に辛い毎日でしたが、家族をはじめ、多くの日本にいる友人、先輩、監督である八木さん、コーチの稲垣さんや竹田トレーナー、またOBの土田さんなど多くの方がメールや電話で連絡を下さり、とても大きな支えとなりました。本当にありがとうございました。
最後の二か月はあっという間に過ぎ去ってしまいました。ラグビークラブのメンバーは勿論、語学学校でも多くの貴重な出会いがあり、これからも付き合っていけるような友人を多く作ることが出来ました。
最後に、私はこれから成蹊ラグビー部に、オーストラリアで培った常に上を目指そうとするハングリーさや激しさを取り入れていきたいと考えております。そしてなにより向こうの人は純粋にラグビーを楽しんでいます。それは今年我々が掲げた「DELIGHT」というスローガンの目指すところと同じであると思います。




同じ語学学校の友達のホームステイ先



3か月お世話になったホームステイの家族

この留学を通して私は多くの人と関わることが出来ました。ホームステイの家族。NTTドコモのマコ―ミックさん、並びにチームの皆さん。シドニーでは本当に何から何まで面倒を見てくださり、もう一人の父親のような存在であったホポイさん。GORDONクラブの皆、語学学校の皆。そしてチームが駆け出しの時期でとても忙しかったのにも関わらず、留学することを許可して下さった監督、主将の大森さん。本当にありがとうございました。
 
ワラタスの選手と

御精読ありがとうございました。