コラム~成蹊ラグビー

霞が関ビル

2019/04/11(木) 13:55

1968年の今日(4/12)日本初の超高層ビル「霞ヶ関ビルディング」が完成した
千代田区霞が関3丁目、もとは東京倶楽部(交詢社、日本倶楽部と共に日本を代表する社交クラブ)と霞友会館(旧華族会館)の跡地に建てられた
当時の建築工事費は163億円(現在の物価に換算すると550億円) 施主は三井不動産と霞会館、施工は鹿島建設と三井建設のJV(共同企業体)byWikipedia

おそらく壮大な工事現場だったと思う
地震列島と言われ、昭和40年代前半、巨大地震にいつ襲われてもおかしくないと言われていた都心に超高層ビルが建つのか・・・・・当時は高さ制限として31m以上の建物は建てられないという条例(百尺規制)があり、それ以上の建物を建てることは禁じられていたところに1961年の都市計画法の改正で導入された特定街区制度を利用して建設が可能となったのだ

子供の頃、山手線沿線風景に突如として巨大な何かが現れたので、当時流行していたTV番組のウルトラセブンの怪獣「キングジョー」みたいだなぁと眺めていたことを思い出す

現代では200mを優に超す超高層ビルが当たり前のように林立しているが、それも全てこの霞が関ビルから始まったことを考えると想像を絶する困難を乗り越えて作り上げた先人たちの知恵と努力には敬意をしめすしかない

やはり日本は創造立国なのだ 
建築物はもちろん、自動車や電化製品、そして見た目にはわからないそれらを構成する数々の部品、日本の産業はこういうものから成り立っていることを忘れてはいけないと思う

2019.4.12
SRFC Taro.S