コラム~成蹊ラグビー

道後温泉

2017/08/21(月) 11:05

夏季休暇を利用して四国を3/4周してきた

高知空港から四万十川に向かい、四万十川沿いに北上し愛媛から松山道を東に高松まで車で約700kmの行程であった

四国を観光目的で訪れるのは初めてであったので各地の名所を満喫 中でも『金刀比羅宮(金毘羅さん)』の奥社(厳魂神社)までの1368段の階段を上りきったことで久しぶりに達成感を味わえた

もちろん、松山では好きな小説の『坂の上の雲』の舞台である松山城や主人公である秋山兄弟の生家へも訪れた

松山と言えば『道後温泉』が有名であり、もちろん温泉にも入ったが、数年前にNHKで放送された坂の上の雲の長編ドラマが話題となり多くの観光客を呼んだおかげで土産物屋がアーケードを作ってしまった影響もあり以前に訪れた時よりも温泉街としての風情はなくなってしまったのは残念に感じた

ところでなぜ「道後温泉」と言われているのか気になったので調べてみると・・・古くから「前・中・後」が地名に付くのは多く、例えば越(こし)の国としての越前(現在の福井県)・越中(同 富山県)・越後(同 新潟県)や吉備の国としての備前(岡山県)・備中(岡山県)・備後(広島県)というのがあるが、道後温泉のある国は伊予の国であり、その範とは明らかに違う

では、なぜ道後なのかを調べてみたら・・大化の改新(945年)まで遡ることになった
大化の改新後、各地に国府が置かれ、その国府付近を「道中」と呼び、それより都(京都)に近い方を道前、遠い方を「道後」と呼んだそうである 伊予の国において道中は現在の今治の辺りだそうで、それよりも都に遠い場所だったので道後という呼び名(地名)が残ったそうだ
そうなると、ほかの地方にも同じ町名が残ってもよさそうだが、道後や道中をググってみたがどこも該当する地名はなく、道前だけが秋田県、愛知県、福島県などに残っていることが判った

松山の道後だけがなぜ残ったのかはわからないが「どうご」という響きが古よりのDNAとして我々日本人の中に残っており、人々を魅了しているのではないかと思っている

2017.8.21
SRFC Taro.S