コラム~成蹊ラグビー

タロジロ

2017/08/11(金) 10:00

何のテーマかと思われると思うが・・・僕と僕の代の主将(板井二郎 丸紅勤務)のことではない

第1回南極観測隊の犬ぞりの先導役として活躍した兄弟の樺太犬のことである  これにサブロも加えて3兄弟犬だったらしいが、サブロは訓練中に亡くなってしまったそうだ

第1回南極観測は1956年(昭和31年)11月に総勢53名の隊員と22頭の樺太犬が南極観測船「宗谷」で東京湾を出発したが、実際の南極越冬隊には11名の隊員と19頭の樺太犬が選ばれ、この中にタロとジロも含まれていた

第1次越冬隊の交代要員として第2次越冬隊の計画もあったが悪天候のために南極に近づくことができず、11名の第1次越冬隊員と2羽のカナリアと1匹の三毛猫と8頭の南極生まれの樺太犬とその母犬だけを収容するに止まり、タロジロを合わせた15頭の樺太犬は昭和基地の外に首輪を繋がれたまま置き去りにせざるを得なかった

1959年(昭和34年)1月14日第3次越冬隊が昭和基地に着いたときに2頭の樺太犬が生存しており、この2頭がタロジロであったことが当時の日本中で感動を引き起こしたそうである

タロは第4次越冬隊と共に1961年5月4日に4年半ぶりに帰国、その後1970年まで北海道大学植物園で飼育され、1970年8月11日に老衰のために亡くなった 人間に換算すると90歳近い年齢であり天寿を全うしたといえる 今日はタロの47回忌である

ジロは第4次越冬中の1960年(昭和35年)7月9日昭和基地内で病死したとのこと

タロジロはそれぞれ剥製となり、タロは北海道大学植物園、ジロは上野の国立科学博物館において別々に展示されていたが、高倉健主演映画「南極物語(1984年公開)」の影響により、2頭を一緒にさせてあげようという運動が起こり、1998年(平成10年)9月に稚内青少年科学館で「タロジロ里帰り特別展」で2頭の剥製が初めて同じ場所で展示され、2006年にも国立科学博物館での「ふしぎ大陸南極展2006」でタロジロは再会を果たしている

現在58回を数えるに至る南極地域観測隊は、初期の頃とは比べものにもならないくらいに快適で日本での生活とほぼ同じような水準を保てるようになり、また、移動手段も雪上車を使うようになり樺太犬の出番はなくなっているようである

余談であるが・・・「南極物語」が公開された1984年、僕と板井二郎は冬のアルバイトを築地場内の同じマグロの仲卸業者ですることとなり、我々の名前から市場の近所中の業者で話題になったことがあった

ps
来週はお盆休みなのでコラムはお休みします

2017.8.11
SRFC
Taro.S