コラム~成蹊ラグビー

忘れてはいけないこと

2017/03/10(金) 16:03

3.11 日本人にとっておそらく忘れることはできない、と言うよりも忘れてはならない日がやってくる

死者行方不明者18,455人、建築物の全半壊400,326戸、震災ピーク時の避難者数40万人以上、停電世帯は800万戸(計画停電と言う言葉が使われていた)

被害総額は25兆円、自然災害による経済喪失額としては史上1位と言われている


あの時、僕はけやきグランドにいた

就職活動が本格化し、小林大輔(H23年卒 清水建設勤務)の筆記試験の結果が出る日だったので気になってグランドに来ていたのだ

本人から筆記が通過したという連絡を受けたのでホッとしつつ、学生たちと色々と話し込んでいた時に突如ドーンと物凄い音がして、その後すぐにグランドが激しく揺れだし立つことができなくしゃがみこんだことを覚えている

いつまでも続く大きな揺れ、大学体育館の上部の窓ガラスが割れ、西部室柔道場の窓ガラスもグランド見て分かる程に波打っていた


ついに関東大震災が起きたのだと思い、天災は忘れた頃に・・・本当にやってくるんだと思い、(災害時に)奥さんとどこで落ち会おうとしていたかを思い出そうとしながら防災準備を何もしていないなぁなんて漠然と不安を感じ始めていた


揺れも収まったので震源地などの情報を得ようとしていたら、(当時の)ワンセグ画面には巨大津波の映像が流れてきたのでとてつもないことが起きたのだとその時判った

仙台出身の学生(ヨネスケと泰人)がおり、彼らは必死に携帯で実家と連絡を取ろうとしていたが全くつながらない様子 何かの情報番組で震災の時には携帯よりも固定電話の方が繋がる確率が高いと言っていたことを思い出したのでそれを伝え、守衛所にある公衆電話から電話をしたところ自宅に連絡がつき、かつ家族の無事を確認できたので2人が安心していた様子を覚えている

練習どころではなくなったので自宅に戻り、既に帰宅できずにいた数名の4年生を収容し、TVから流れてくる映像を食い入るように眺めていた

震源が東北沿岸の広範囲であること、マグネチュードが9.0、最大震度が7であること、東北沿岸部に莫大な被害が起きそうなことが刻々とわかってきた

22時ごろに奥さんと連絡が取れ、何とか動き始めた大江戸線で中野坂上駅までは帰って来れそうだというので、近所に住む和田憲明(H23年卒 横浜ゴム勤務)の車で向おうとしたものの幹線道路はすでに大渋滞、ナビを駆使しながら住宅地を、時には(緊急時だからということで)一方通行を逆走とかしながら何とかたどりつき、本当に偶然にすぐに出会えたので奥さんも無事に戻ることができた


あれから6年経った

僕は現職で『震災支援機構』という東日本大震災によってできた国の機関に勤務しているので、復興の状況は一般の人よりは把握と理解をしている

復旧は大分進んだが、復興はまだまだである

おそらく、明日はどこの放送局でも3.11に因んだ報道特集を組んでいるだろう

どの番組でも良いので部員たちには必ず見てほしいと思っている 当時から現在までの復興の進捗状況を日本の若者としてしっかりと認識をして欲しい

そして、しっかりと3.11を心に刻んでほしい それだけすごいことが起きた日なのだと 

2017.3.10
SRFC
Taro.S