コラム~成蹊ラグビー

箱根駅伝

2017/02/14(火) 16:59


世間ではSt.Valentine's Dayであり『ほのぼの感』が漂っているけど、うちのラグビー部の連中の感じではそんなところからかけ離れたところで淋しく皆で固まっていそうなので、あえて話題を全く変えることにした

今では正月(1/2~3)の風物詩として、関東地方の大学しか出場しない大会にも拘らずTVの全国中継がなされるほど日本中の注目度が高く熱心なフアンも多い一大イベントとなっているが、実は、その第1回大会は1920年(大正9年)の2/14に開催されている

なぜ、2月に開催されたのかは諸説あり、中でも寒さと雪の関係で観光閑散期となっていた2月の箱根の町おこしイベントとして行われたという説が有力視されているが、翌年の大会から1月の第2週周辺の時に変更となっているのでこの説はなんだか怪しいものである
※現在の1/2~3に変更となったのは1955年(昭和30年)の第31回大会からであり、その理由は交通渋滞を避けるため

正式名称は『東京箱根間往復大学駅伝競争』、1920年(大正9年)以降、戦中戦後に何度か中止の時もあったが、1947年(昭和22年)から再開され2017年青山学院大学が3連覇を果たした大会で93回目を迎えた


成蹊学園はイメージとして箱根駅伝には無縁のように思えるが、実は1952年(昭和27年)の第28回大会に初出場(これが最初で最後)、しかもラグビー部の先輩方の応援出場があったと言われている

この時の記録が成蹊大学体育会三十周年記念誌(昭和58年1月発行)の中で、大学1回卒の宮田隆先輩の寄稿文にあるので抜粋して紹介したい

~前文有り・・・尚、二つの運動部が協力して対外試合に参加したことがあるので特記したい。昭和27年正月(1/6~7)に行われた関東大学箱根駅伝に参加したことである。陸上競技部の山岸常夫主将より協力依頼があり、ラグビー部は喜んで応じた。一区 山岸(陸)、二区 村瀬(ラ)、三区 宮田(ラ)、四区 黒宮(ラ)、五区 佐藤(陸)、六区 佐々木(陸)、七区 斯波(ラ)、八~十区は橋本、荒井等の陸上部員で編成された。~以下後文有り

※ちなみに上記の(ラ)の先輩方は、大学1回卒 宮田隆先輩、村瀬信次先輩、大学5回卒 黒岩一浩先輩、斯波良夫先輩 4名の先輩方であると思われる


結果は出場14校中14位だったようだが、先輩方の苦しみながらも楽しんでいる様子が伺える記録があるのは嬉しく思うし、粋な姿を知ることができた


やはり、ラグビー部の先輩方は本当に素晴らしいし、色々な角度から伝統の重みを悟り、しっかりと継承していかなくてはならないと改めて感じている


2017.2.14
SRFC
Taro.S