コラム~成蹊ラグビー

昔話

2016/11/08(火) 00:00

今から30年前の今日(1986.11.8)
僕たちの代(板井主将)が帝京大に勝利を収めた日だ
 
後半終了間際に同点に追いつかれた
 
リスタート地点に戻りながら僕は昔のことを思い出していた
1年生の時、対抗戦初戦で日体大に116vs0、続く2戦目帝京大に102vs3で大敗した
 
春夏と順調に仕上げてきて、強いと思っていた先輩たちの戦いぶりを見て、『自分たちが4年生の時にはこんな戦い方はしたくない』と同期で毎日のように深夜遅くまで熱く語り合っていた
 
でも僕達の代以上にそれを切実に感じていたのは3年生の先輩方だった
 
その翌年、飯田主将の代 まさに成蹊の分岐点、今の成蹊のスタート時点だったと(僕は)思っている
※種々思うことがある先輩もいらっしゃると思いますが、拙感としてお許し下さい
 
練習は過酷を極めていた、本当にきつくて辛かった  
 
まず、ランパス10往復から練習が始まり、その後FWBKに分かれ、FWはスクラムを死ぬほど組んで、BKはひたすら走ってタックル 中締めにフォロー最低10往復(まぁランパスみたいなもの)があり、FWBKのコンビネーション(今でいうチームランみたいなもの)をして、締めはコーナー最低10往復(これもランパスの別称みたいなもの)が待っていた これが毎日・・・土日にOBが来ると本数が無限になった・・・
 
 
19vs19になったリスタート
 
成蹊は『死ぬ気』になった あんなにきつくつらい練習をしてきた俺たちが負けるはずがない、誰もがそう信じてロスタイムに臨んでいた
 
自陣10mと22mの中間地点で帝京がペナルティを犯す ラストワンプレーだ・・・『ジャパン、ジャパン』皆が同じサイン名を叫んでいた
 
激しい攻防の中、最後にWTB広瀬が左隅に飛び込み、難しい角度のGKをFB清水が決めた
 
そして、ノーサイド 25vs19 
 
グランドで、そしてスタンドで全ての部員が天にこぶしを突き上げていた
 
 
あれから30年経った ラグビーのルールもプレースタイルも変わってきている それは当然理解している
 
けれども 学生たちよ
 
体がでかくてラグビー経験豊富な上手い奴ばかりのチームが勝ち続けるのがラグビーじゃないはずだ
 
死ぬ気で走ってスクラム組んでタックルし続けた奴らが勝利をつかみとるのだと思いたい
 
理屈じゃない
 
対抗戦はあと2つ
 
自分たちがやってきた『証し』を示して欲しい
 

 
2016.11.8
SRFC
GM Taro.S