コラム~成蹊ラグビー

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道後温泉

投稿日時:2017/08/21(月) 11:05

夏季休暇を利用して四国を3/4周してきた

高知空港から四万十川に向かい、四万十川沿いに北上し愛媛から松山道を東に高松まで車で約700kmの行程であった

四国を観光目的で訪れるのは初めてであったので各地の名所を満喫 中でも『金刀比羅宮(金毘羅さん)』の奥社(厳魂神社)までの1368段の階段を上りきったことで久しぶりに達成感を味わえた

もちろん、松山では好きな小説の『坂の上の雲』の舞台である松山城や主人公である秋山兄弟の生家へも訪れた

松山と言えば『道後温泉』が有名であり、もちろん温泉にも入ったが、数年前にNHKで放送された坂の上の雲の長編ドラマが話題となり多くの観光客を呼んだおかげで土産物屋がアーケードを作ってしまった影響もあり以前に訪れた時よりも温泉街としての風情はなくなってしまったのは残念に感じた

ところでなぜ「道後温泉」と言われているのか気になったので調べてみると・・・古くから「前・中・後」が地名に付くのは多く、例えば越(こし)の国としての越前(現在の福井県)・越中(同 富山県)・越後(同 新潟県)や吉備の国としての備前(岡山県)・備中(岡山県)・備後(広島県)というのがあるが、道後温泉のある国は伊予の国であり、その範とは明らかに違う

では、なぜ道後なのかを調べてみたら・・大化の改新(945年)まで遡ることになった
大化の改新後、各地に国府が置かれ、その国府付近を「道中」と呼び、それより都(京都)に近い方を道前、遠い方を「道後」と呼んだそうである 伊予の国において道中は現在の今治の辺りだそうで、それよりも都に遠い場所だったので道後という呼び名(地名)が残ったそうだ
そうなると、ほかの地方にも同じ町名が残ってもよさそうだが、道後や道中をググってみたがどこも該当する地名はなく、道前だけが秋田県、愛知県、福島県などに残っていることが判った

松山の道後だけがなぜ残ったのかはわからないが「どうご」という響きが古よりのDNAとして我々日本人の中に残っており、人々を魅了しているのではないかと思っている

2017.8.21
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タロジロ

投稿日時:2017/08/11(金) 10:00

何のテーマかと思われると思うが・・・僕と僕の代の主将(板井二郎 丸紅勤務)のことではない

第1回南極観測隊の犬ぞりの先導役として活躍した兄弟の樺太犬のことである  これにサブロも加えて3兄弟犬だったらしいが、サブロは訓練中に亡くなってしまったそうだ

第1回南極観測は1956年(昭和31年)11月に総勢53名の隊員と22頭の樺太犬が南極観測船「宗谷」で東京湾を出発したが、実際の南極越冬隊には11名の隊員と19頭の樺太犬が選ばれ、この中にタロとジロも含まれていた

第1次越冬隊の交代要員として第2次越冬隊の計画もあったが悪天候のために南極に近づくことができず、11名の第1次越冬隊員と2羽のカナリアと1匹の三毛猫と8頭の南極生まれの樺太犬とその母犬だけを収容するに止まり、タロジロを合わせた15頭の樺太犬は昭和基地の外に首輪を繋がれたまま置き去りにせざるを得なかった

1959年(昭和34年)1月14日第3次越冬隊が昭和基地に着いたときに2頭の樺太犬が生存しており、この2頭がタロジロであったことが当時の日本中で感動を引き起こしたそうである

タロは第4次越冬隊と共に1961年5月4日に4年半ぶりに帰国、その後1970年まで北海道大学植物園で飼育され、1970年8月11日に老衰のために亡くなった 人間に換算すると90歳近い年齢であり天寿を全うしたといえる 今日はタロの47回忌である

ジロは第4次越冬中の1960年(昭和35年)7月9日昭和基地内で病死したとのこと

タロジロはそれぞれ剥製となり、タロは北海道大学植物園、ジロは上野の国立科学博物館において別々に展示されていたが、高倉健主演映画「南極物語(1984年公開)」の影響により、2頭を一緒にさせてあげようという運動が起こり、1998年(平成10年)9月に稚内青少年科学館で「タロジロ里帰り特別展」で2頭の剥製が初めて同じ場所で展示され、2006年にも国立科学博物館での「ふしぎ大陸南極展2006」でタロジロは再会を果たしている

現在58回を数えるに至る南極地域観測隊は、初期の頃とは比べものにもならないくらいに快適で日本での生活とほぼ同じような水準を保てるようになり、また、移動手段も雪上車を使うようになり樺太犬の出番はなくなっているようである

余談であるが・・・「南極物語」が公開された1984年、僕と板井二郎は冬のアルバイトを築地場内の同じマグロの仲卸業者ですることとなり、我々の名前から市場の近所中の業者で話題になったことがあった

ps
来週はお盆休みなのでコラムはお休みします

2017.8.11
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シーズンイン

投稿日時:2017/08/09(水) 09:54

夏合宿が始まった 
5日間の校内合宿と16日からの菅平合宿と合わせると2週間にも及ぶ長丁場であり、自分の学生時代の気持ちと重ね合わせても気の毒としか言えない
怪我人が出ないことを願うばかりである

その昔『夏を制する者が受験を制す』というとある予備校の標語があったが、ラグビー界も同じだと思う 
夏の在り方が秋の戦績に直接的な関わりを持つので、痛いとか辛いとかネガティブなことは心の中に仕舞い、どうしたら自分が成長しチームが強くなるのかを考えて行動、実践して欲しい

そこで春の交流戦の結果を昨年と対比してみたので参考にしてほしい 
対戦相手はリーグ戦が専修が法政に、関東学院が山梨学院に変わった以外は日大と対抗戦は昨年同様立教、日体、青学なので良い比較になると思う
2016年
総得点106、総失点370 得トライ18、失トライ56
2017年
総得点106、総失点366、得トライ16、失トライ58
数字だけ見ると昨年とほとんど変わっていないようだが、法政大との7vs102(得トライ1、失トライ16)の試合があるのでそれを抜かせば、昨年と比べるとDF力は少しだけ上がっているのではないかと思っている ただし、考え違いして欲しくないのはまだまだ全然「ダメ」なレベルであるということは認識してほしい
得点力について考えるとトライ差が2つなのでそんなに変わっていないと思ってしまうと落とし穴に嵌ってしまうだろう 昨年より明らかにBKの「前」に出ようとする力は劣っている

春の戦績を分析していると思うが、チーム、そして個人の課題はそれぞれ明確になっているはずなのでそれらをしっかりと制して今年の目標に向かって『UNITE』してほしい

2017.8.9
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勧善懲悪

投稿日時:2017/08/04(金) 12:05

子供の頃、学校から帰ると必ず見ていたTV番組は再放送の時代劇であった

水戸黄門、大江戸捜査網、暴れん坊将軍、遠山の金さん等々「勧善懲悪」が定番で、権力のある悪者が決まったパターンで成敗されていた

〈懐かしいお決まりの場面 遠山の金さん〉
遠山金四郎:「遊び人の金さんという男をしらないかい?」
悪者の親分:「誰ですかそいつは?・・・面白いじゃないですか・・いるというだったらそいつをここに連れてきてくださいな」
その手下達:「そうだそうだ つれてきてもらおうじゃねえか!」
遠山金四郎:「そうかい・・そこまで言うんだったらみせてやろうじゃないか! この背中に咲いた桜吹雪、散らせるもんなら散らしてみな・・・・」
悪者一同:愕然として桜吹雪を見入り、うなだれてしまう

こんなシーンが毎回毎回繰り広げられ、それを飽きずにというかその場面見たさに見入っていたものだった

現代のTVドラマで視聴率も高かった「半沢直樹」、「ドクターX」にもこの要素は取り入れられており、我々日本人は勧善懲悪が好きな民族ではないかと感じている

そのルーツは?と探してみると、聖徳太子の十七条憲法の第六条には「懲悪勧善、古之良典」というのがある
つまり、悪を懲らしめて善を勧めるのは、古くからある良いしきたりであるということが聖徳太子以前の古来から認識されているある意味で日本人のDNAとして染みついている感性なのかもしれない

そんなことが判ると・・今の国内には「勧善懲悪」されて欲しいことが沢山あるので誰かが出てきて成敗して欲しいものである

2017.8.4
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お水

投稿日時:2017/08/01(火) 08:50

僕が大学生のころまでは自宅でも学校でも公園でも・・・つまりいつでもどこでも水道の蛇口から出てくる水を飲んでいた
今は(自分を含めて)そんなことをする人はほとんどいなくなり、自宅では浄水器からでる水を飲み、外ではペットボトルの水を飲んでいるのが現状である

今日8月1日は『水の日(日本)』なので、水について少し考えてみたい

ブリタニカ国際大百科事典によると
地球上の水は太陽熱で蒸発して水蒸気となり、大気中で凝結して雨や雪となって地上に帰り、一部は地中にしみ込んで地下水となるが、大部分は河川水となって海洋に戻るが、これを循環水と言う
このようにして循環している地球上の水量は14億K㎥と言われているが、その大部分は海水で、淡水はわずか2.7%にすぎず、また、淡水の大部分は極地の氷山、氷河や750m以深の地下水で、水資源として利用できる河川や湖沼などの地表水と一部の地下水は、地球上の水の総量の1%にも満たないそうだ

一方で日本における水の賦存量(降水量から蒸発散を差し引き、面積を乗じたもの)は年間4,500億K㎥ 
※賦存量というのは天然資源が利用の可否に関わらず、理論上算出されたある量として存在すること

日本の年間降水量は世界平均の2.5倍ではあるものの人口の割に国土が狭いので、1人当たりの年間降水量としては世界平均の1/5に過ぎないので賦存量の4,500K㎥という数字は必ずしも豊かとはいえないようだ

それに加え、生活水準の向上や社会活動の増大に伴い水の需要は増え続けているにも関わらず、開発適地の減少や水源地域対策の遅れ、開発コストの上昇などにより水不足は深刻化しつつある

子供の頃『安全と水は’ただ’』と言われ(意味合い的には揶揄ではあるが・・・)育てられきた我々世代はもちろんのこと、これからの日本を背負っていかなくてはならない学生たちも、今日の「水の日」をきっかけとして、水を資源として捉え、どのように生み出し利用していくべきかをじっくりと真剣に考えていかなくてはならないと思っている


余談だが、僕たちが学生の頃は今日(8/1)が夏のシーズンイン当日であり、ある意味1年の中で一番迎えたくない日であった・・・そんな日が誕生日であった僕の代の主将であったI.J君は、学生時代に我々から心底「おめでとう」と言われたことはなかったはずなので・・・今日は心よりおめでとうと伝えたい
I.J 誕生日おめでとう

2017.8.1
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ラグビー考察

投稿日時:2017/06/09(金) 11:10

ラグビーの観客動員数が年々減少傾向にあるという

全国的に高校大学のプレーヤー自体が減少していること、ルールなどが分かりづらくて競技経験者でないと観戦に適さないということ、かつてのラグビー人気を牽引してきた大学ラグビーの雄である早慶明の低迷していることなどがその要因であると思うが、その根本的な原因について個人的な見解をかなりの極論で展開してみたい

同じ球技でありながらサッカーとラグビーの絶対的な違いは得点のカウント方法だ サッカーは1ゴール1点であるが、ラグビーは1ゴールが5点~7点となる この現象により大量得点差もサッカーは5点の場合、ラグビーでは最大で35点にもなる 

0対5の試合と0対35の試合では明らかに見た目の「接戦感」が違うと思う

つまり、ラグビーの場合番狂わせが少ないスポーツと言われているので実力の差が点差に表れると見た目ですごいことになる

仮に100点ゲームとなるとやっている方も辛いが応援している方はなおさら辛いし、結果だけしか見てない人になるとおそらくやらない方が良かったのではないの?と思っているはずである

そこでラグビーが発祥した初期のルールに戻すことを提案したい

『TRY』は誰もが知っているラグビーの得点に関する言葉であるが、その昔はトライしただけでは得点は与えられず、その後に蹴るゴールキックに挑戦する権利を得るための手段がインゴールにグラウンディングすることであり、キックに挑戦する、つまりそれがトライと呼ばれることになったと習ったことがある

トライの得点にも変遷があった
1948以前は0点、1948-1970:3点、1971-1992:4点、1993以降は5点

トライ後のゴールキックがコンバージョンキック(conversion)と言われているのも、トライ後に追加点に変換できる(convert
)ことが由来である

余談だが、その昔「Convert」というボールがあり、「ウシトラ」という会社が作っていたボールで工場が大阪にあったので主に関西方面の高校では主流で使われていた記憶がある 当時の成蹊大学ラグビー部もこのコンバート製のボールを使っていたことがあったが、普通のボール(当時はセプターが主流)よりも少し縦長で扱い辛くて個人的には嫌いなボールであった

話が逸れてしまったが・・・

トライの得点が増えるにつれて当然のことながら大量得点差のゲームの数も増えてきた

これではやっている人も面白くないと思いながら戦っているだろうし、例えばその選手の弟君などが応援観戦に来ていたりしたら、絶対にラグビーなんてやりたくないと思うはずだ

競技人口を減らさないことが観客動員にもつながるはずなのでやっている人も応援している人もその関係者全員がみじめな思いをしなくて済むように得点差を極力少なくすることで接戦感が醸成され、しいては「面白いスポーツだ」と思われるのではないかと思っている


まぁ本当はトライされないようにしっかりとタックルすれば良いと本音では思っています

2017.6.9
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京都好き

投稿日時:2017/06/06(火) 12:00

僕が京都を好きになったのは中学生の時に読んでいた「歴史街道」という雑誌の中で源平合戦の特集があり、その中に「平家物語」が紹介されていて、かの有名な冒頭「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり・・」に惹かれ原文を読んでみようと思って解釈本を片手に原文を読み進めるうちにその場所に行きたくなったからである

栄華を極めた平家一門の舞台であり、木曽義仲の哀れさ、宇治川の合戦など歴史の舞台が京都に沢山あったことにより訪れる回数が増え好きになったのである

大半の人が紅葉を楽しみに秋に押しかけるが、僕が一番好きな季節はまさにお盆の時期 盆地特有のうだるような暑さの中に浮かび上がってくる京都五山の送り火や大原三千院の万灯会 蝋燭の炎に浮かび上がる観音堂の幻想的な姿には感動を覚える

今の時期は三室戸寺の紫陽花、貴船の蛍など観光客が少ないのでお勧めの時期である

「平家物語」には読み手ぞれぞれにその思い浮かべる情景とともに好きな場面があると思うが、僕が一番好きなのは「敦盛」の場面、自分の息子と同じ年くらいの平家の若武者平敦盛(のちの首実検で敦盛と判明)首を討たざるを得なくなった熊谷直実がのちに法然の弟子となり出家し仏門に帰依することになったくだりなどは何度読んでも飽きない場面である

実は皆もこの熊谷直実には年に1度必ずお目にかかっている

北関東のラグビーの聖地 JR熊谷駅のロータリーにある騎馬武者はこの熊谷直実のものである

その名の通り 熊谷村の出身で今も地元熊谷寺で眠っているそうだ

できれば今年はお目にかかりたくないと思ってはいる

2017.6.6
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米国 パリ協定から離脱

投稿日時:2017/06/02(金) 14:20

トランプ大統領が『パリ協定』から離脱することを発表した

パリ協定とは2015年12月12日『第21回気候変動枠組条約締結国会議(COP21)』によって気候変動に関して世界中で協力して温室効果ガスの削減をすること合意したものである

京都議定書(1997年)以来の国際的枠組みであり、加盟国が196か国にもわたる歴史的な協定であった

本日の発表はトランプ大統領が『America First』政策を最優先させることを宣言したことに等しいと言える

現在、地球温暖化の原因となっている二酸化炭素の排出量の47%を占めるインド、中国、アメリカ合衆国のうちの1つの国がパリ協定から離脱することを宣言したとなると、この協定自体有名無実化することは否めない

地球温暖化について環境省のHPから調べてみると、現在の地球の平均気温は14度前後であり、もしも大気中に水蒸気やCO2,メタンなど温室効果ガスがなければ、その気温はマイナス19度くらいなるとのこと

よって、温室効果ガスを排出することはすべてが’悪’なのではなく、世界中の国が協力して温室効果ガス排出をコントロールしましょうというのが協定の基本的な考え方なのだ

欧米諸国や日本など他国よりも先に工業の発展に伴い経済発展を遂げた国は率先して温室効果ガスの排出量は減らすべきであり、インドや中国など新興国が排出量削減を渋るのは理解できるが米国のように自国の利益ばかりを優先させる姿勢はいかがなものかと思ってしまう

かつて米国は1823年にモンロー教書(モンロー宣言)として、表向きは欧州各国が植民地政策を取ることに関しての相互不干渉を宣言したが、その裏にはロシアのアラスカ(当時はロシア領)からの南下政策を阻止するためのものだったと言われている

こう考えるとトランプ大統領のパリ協定離脱にも何か裏があるのかもしれない

2017.6.2
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ちゃんと知ってて使っている言葉ですか?

投稿日時:2017/05/30(火) 00:08

少子高齢化・・・新聞紙上で目にしない日はないし、就活生もお題目のように自身の志望動機の中に「少子高齢化が進み、その中で私は・・・」なんて取り入れている学生が多くいる中でその実態をどのくらい把握しているのだろうか

日本は2008年12,693万人をピークに人口減少時代へ突入しており、ほぼ1年に80万人のペースで減少しているらしい

この80万人ってどのくらいかを分かり易く言うと現在の浜松市(静岡県)の人口が80万人ほどなので、ほぼ毎年浜松市の人口と同数の人がこの日本から減っていることになる

国立社会保障・人口問題研究所の推計資料によると、現在1億2千万人ほどの人口が2110年には4280万人まで減少してしまうと試算されており、この推計は過去にもぶれがなく、(何も対策を講じなければ)ほぼこの通りになると言われている

民進党の議員が「待機児童問題」を取り上げているが、実はこの問題は都心だけの問題であって地方の人々にとって何をそんなに騒いでいるの?というのが実態であり、地方の人にとっては過疎化がどんどん進んでいる現状の中では少子高齢化をいかに国が対策してくれるかのほうが実情に合っている

2016年に安倍政権が地方創生の一環として人口を1億人で維持しようすることを政策の中に織り込んだが、それ以前にこの人口政策を閣議決定し政策の中に織り込んだのは1941年の近衛文麿内閣にまで遡ることになる

1941年というと昭和16年 まさに太平洋戦争に突入しようとする年であり、これは悲しいかな「軍備増強、兵力増強」のなにものでもない政策であまり感心できないが、昭和35年までに人口1億人を目指すという具体的な目標を掲げたものである

人口の増減と国体は比例すると言われているので安倍政権の人口増加に関する政策は将来的な日本の危機に備えようとしているのでもっと評価されてもよいと思っている

日本では評価されるかどうか難しいと思うが、フランスではシラク大統領時代の1994年1.66%まで落ちた出生率を2005年までに2.0%台まで回復させた『シラク3原則』というのが存在している
①子供を持っても新たな経済負担は生じさせない
②無料の保育所を完備
③育児休暇から職場復帰した際には休暇前の待遇を約束
という政策を打ち出し、人口減少に歯止めをかけた

素晴らしい政策だとは思うが、日本が直ちにこの原則を真似ようとしても文化的に難しい実態もある

それは、婚外子に対する差別的な考え方、婚姻に対する一般通念の存在やジェンダーギャップなど日本独自の文化を考慮しないとならないからである

少子高齢化を問題にするのは簡単であるが、経済的な側面だけではなく文化的な観点からも国情に合ったやり方で少しでもはやく出生率を上げるにはどうしたらよいかをもっと国会で論戦を繰り広げて欲しいと思ってしまった

2017.5.30
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樋口廣太郎氏

投稿日時:2017/05/26(金) 15:45

会社の研修会で招いた講師の座右の銘が「心は形を求め、形は心をすすめる」だと言っており、仏教からきた言葉だとのことなので調べたところ、『心を整えたくても心そのものは形をもたない、けれども所作や行動といった目に見えるものの形を整えることで心を整えることができる』という仏様の教えだということが解った

僕の中ではすぐに樋口廣太郎氏が思い出された 樋口氏は住友銀行を副頭取まで務め、その後アサヒビールの社長に就任、当時経営不振状態のアサヒビールの再建に成功された辣腕の経営者である

TV放談の中で『赴任初めての朝、アサヒビールの社屋に入りエレベーターに乗った際に僕のことをだれも知らないのはしょうがないと思うけど、年配者が乗ってきても挨拶もしないし、ネクタイもだらしがなく結ばれた状態で朝にもかかわらずぼーっと乗っている社員の姿を見て、経営不振の原因はこれだと思ったので、身なりを整え、しっかりと挨拶ができるようにすることから社内改革を始めた』と話されていたことを思い出した

まさしく樋口氏の言わんとするところはこの言葉と同じだと思ったのである

樋口氏が社長に就任してからのアサヒビールの快進撃はすごかった 

『濃くがあるのにキレがある』というキャッチフレーズで青木功とジャンボ尾崎を使ったCMで爆発的に売れたスーパードライの登場で、それまでキリンビールの独壇場だったビール市場でキリンを抜き去りトップに躍り出たのである 

僕が銀行員時代の銀座支店時代にアサヒビールは取引店で、かつ担当者だったこともあったので当時取締役だった支店長と年始の挨拶をしに行った際に、樋口社長も同席されることが分かったので・・・銀行から転出して大企業のトップとなり経営者として大成功を収めている憧れの張本人に会えると思ったので・・・サインをしてもらおうと思って色紙を持参したところ次のような一言を添えてサインを下さった 

『呑舟之魚不游枝流 (呑舟の魚は枝流に游がず)』

「船を飲み込むような大きな魚は小川にはすまない」 つまり、大物はつまらないものと付き合ったり、小事にはかかわらないということを意味しているそうで、君もこれから社会に出て色々な人と出会ったり色々な難事に関わると思うけど何か判断基準が必要になると思うからこの言葉を君に送るよと言って下さった言葉である

全く実践できていないことを実感しつつ少しでも近づけたら良いなぁとまた今日思い出した

忘れもしない1990年1月10日に頂いたその色紙は今でも大切に実家の仏間に飾ってある


2017.5.26
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ラグビーW杯

投稿日時:2017/05/23(火) 15:10

2019年日本での開催が決定しているラグビーW杯の第1回大会は1987年の今日(5/22)にオーストラリアとニュージーランドの2か国共催で開催された

この大会は地区予選がなく、開催国の他にはIRB主要国(イングランド、アイルランド、スコットランド、ウェールズ、フランス)の5か国の他にアルゼンチン、フィジー、イタリア、カナダ、ルーマニア、トンガ、ジンバブエ、米国、そして日本の14か国が招待され、合計16か国で行われた

南アフリカ共和国はアパルトヘイト政策のため招待されず、第2回も出場できなかったので南アがW杯に出場できたのは第3回大会からである

日本は宮地監督、林主将のもとで予選リーグ米国、イングランド、オーストラリアと対戦、当初予想では米国には勝利を収め、オーストラリアには勝てないもののイングランドには勝つ可能性もあると判断されていたが、蓋を開けてみたら3戦全敗 それまで親善試合でしか戦ってきていなかった世界中の強豪国との力の差を感じさせられた大会であった

決勝はニュージーラドvsフランスとなり、NZがフランスを29-9で破り初代王者になった

ラグビーもW杯が開催されたことをきっかけにプロ化の波が押し寄せ、1995年IRB理事会により「アマチュア規定」が撤廃され、1996年トライネーションズ、スーパー12への発展へとつながっていった

日本ラグビーの「接近、展開、連続」という戦術を身体の小さい日本人が巨体の外国人といかに互角に戦うかを常に考えていた大西鉄之助氏は、その昔TVのインタビューでラグビーにおけるアマチュアリズムについて語っていたことがあった

インタビュアーに「なぜ、ラグビーはアマチュアリズムを頑なに守るのですか」という質問に対して、大西氏は「君は自分が生活に困ったときに愛妻を淫売に出すか? 出さないだろ・・・ラグビーのアマチュアリズムとは自分にとって大切なものを金銭価値に変えないことだよ」という内容だった

もう40年以上前の話だし、現在の流れとは真逆であるけれど・・・今の大学ラグビーに限って言えばこの大西氏の話を真摯に受け止めてもう少し学生スポーツとしてのラグビーの在り方を考えていくべきだと最近とみに感じている

2017.5.22
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就職活動vol2

投稿日時:2017/05/19(金) 09:08

いよいよ2017年就職活動もついに最終の追い込み段階に入ってきた

6月1日に内定を勝ち取るために必死にOB訪問や会社説明会に出席したり、中には実質的な面接に臨もうとしている姿には悲壮感が漂っている

暑くなってきたのだから脱げばよいのに真面目に上着を着ながら歩いている学生を見ると、「脱いだって平気だよ、そこまで人事部の人は見ていないよ・・もっと気楽にしていた方が良いんじゃないの?」と一言声を掛けてあげたくなってしまう

4/1 会社説明会解禁、6/1 選考開始というのが経団連加盟企業による2017年の就職協定であるが形骸化していると感じている

指定期日までにエントリーシート(ES)を提出、Webテストもしくはテストセンターで試験を受けさせ、通過した者だけが面接に臨めるというパターン化された就職活動にも違和感がある

沢山のESが送られてくる就職人気企業にとっては「線引き」の有効手段なのかもしれないが、その結果として画一的な学生を生み出すばかりで、自主創造に欠け進取の精神も気鋭など全く感じられない学生を採用してしまっているような気がしてならない

また昔の話を出してしまうが・・企業ならではの独自色が感じられた時代があった 「人の三井、組織の三菱」というのが企業色を表現した代表例だと思うが、僕が在籍していた三和銀行も当時は「野武士軍団」と言われおよそ銀行員らしくない人が沢山いた 

当時の採用はそれぞれの企業が独自の方法で実施しており、筆記試験があるところもあれば面接だけのところもあったり、採用期間も今のように協定によって一斉に行われるものではなく業種業界によって分かれていた時もあった

「人こそ財産」を標榜している企業は沢山あるが採用方法をみていると本当にそう思っているのか、その真意には疑問符を付けざるを得ない

形骸化されている就職協定とともに企業の採用方法も見直す時期に来ていると思っている

2017.5.19
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オレたちひょうきん族

投稿日時:2017/05/16(火) 10:00

1981年の今日(5/16)に放送開始となったこの番組を生で観たことがある年代はおそらく40歳以上だと思うが、一世を風靡した番組でフジテレビに一気に勢いを与え、かつ、バラエティ番組の走りとなった番組であることは間違いないだろう

とにかくめちゃくちゃだったので今では放送できないものの方が多いのではないかと思う 現在では大御所芸術家のように振舞っている鶴太郎氏なんかはすぐに素っ裸にされてプールに投げ飛ばさるのが定番の芸だった

元々は野球中継が雨で中止となった「雨傘番組」としてスタートしたらしいが、「楽しくなければテレビじゃない」を標語としたフジテレビが当時の若手漫才ブームの勢いを借りた形で土曜日20時台には欠かせない番組となった

漫才特番やお笑い演芸番組など特別な時にしか見ることができなかった漫才師(芸人)が一気に身近な存在となった

こんなお化け番組もビートたけしが犯した「フライデー事件」により本人の出演ができなくなったことを境に視聴率が低下し1989年10月に打ち切りとなったのは残念だったが、面白さを追求することに限界もあったのだと思う

その後一時はお笑い番組も下火となりほとんどのテレビ局で取り扱われることがなくなったが、この番組でその人気を不動のものとしたビートたけしと明石家さんまによりお笑い芸人の地位が確立されたことで、ダウンタウンやうっちゃんナンチャンなどが活躍しやすくなり、その結果今日どの番組を観ても同じようなお笑い芸人が溢れていることとなったが、同じような芸人ばかりが下らないことばかりやっていることを見ていると「電波の無駄遣い」な気がしてならないので、どこかのテレビ局が勇気をもってもう少し硬派な番組つくりをしてくれることを期待している

余談だが・・当時の人気登場ゲストに「牛の吉田君」というのが居たことを覚えているが、なぜ覚えているかというと後からその由来を聞いたのでその記憶が鮮明だからなのだが・・・本人に了解を得ていないので披露することはこの場を借りてお詫びするが・・・現在三菱商事に勤務している田中秀孝君(H5年卒)が当時成蹊中学時代の隣席に座っているクラスメイトの名前が吉田君と言う子で彼がたまたま隣に座っていたことだけの理由で「牛くん」というあだ名がつけられ、46歳となった今でも友人からは「牛」と呼ばれているのでその影響力の凄さはやはりすごいものだったことが分かりますよね

2017.5.16
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フランス新大統領誕生

投稿日時:2017/05/09(火) 10:05

フランスに新大統領が誕生した
その名はエマニュエル・マクロン氏 39歳
パリ政治学院とENA(仏国立行政学院)卒業のバリバリのエリートである



1789年のバスティーユ牢獄襲撃など象徴的な事件が起き、アンシャン・レジームが崩壊したフランス革命後の混乱期に彗星のごとく出現したナポレオン1世が、第1帝政を開いたのが1804年であり当時35歳だったことを考えると、フランス国民にとって年齢的な経験はあまり重要ではないのかもしれない



多発しているテロへの嫌悪感、流入移民の激増や経済的な閉塞感を打破して欲しいと願う感情よりも、安定感というか保守的な道を選んだことに対して国民気質からすると意外に感じるかもしれないけれど、農業大国であるフランスが現行のEU運営上においては恩恵を被っていることが多いことを知っている国民はさすがに実利を選んだとも言える



イギリスがEUを離脱せず、またアメリカ合衆国にトランプ大統領が出現しなかったら極右のルペン女史がもしかしたら選ばれていたかもしれないが、世界を牽引する国々での国家的投票で大方の予想を裏切る結果が出たことに対して、3度目でようやくとアレルギー反応が出たと感じている



日本人にとってフランスは、花の都パリを中心に芸術と文化の国であり、ワインやフレンチに代表される美食の国であり近年では和食にも理解を示してくれる国として年配者を中心に憧れの存在である



今まではそんな表面的なことしか感じていなかったフランスに対して、マクロン氏がどのような政策を押し進め、また日本に対してどのようなうな感情をもって接しようとしてくるのかをもう少し具体的に感じながら見ていきたいと思っている





2017.5.9

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ゴールデンウィーク(GW)

投稿日時:2017/04/28(金) 14:17

 

明日からゴールデンウィーク(黄金週間)に突入する 

 

旅行など色々と予定を立てているラガークラブOBも沢山いると思うが、現役部員にとっては嬉しくない黄金週間であることに間違いない

 

Golden WeekGW)は和製英語であり、生みの親は映画会社大映の常務取締役であった松山英夫氏と言われている
 

多数の動員を生み出し、活性化を目指すことが目的で映画業界の宣伝用語として使われるようになり、1953年(昭和28年)頃から一般的に広まった言葉である
 

NHKでは広告放送禁止規定によりゴールデンウィークとは言わずに『(春の)大型連休』という表現で統一しているそうなので、今度から少し注意してニュース等を聞いてみたい

 

本来は5月3日(憲法記念日)から5月5日(こどもの日)までのことを指していたが、現在一般的には4月29日(昭和の日)から5月5日までとされている

 

余談だけど・・我々世代にとっては4月29日は「天皇誕生日」であり、その後1989年からは「みどりの日」となり2007年から現在の「昭和の日」となった

 

以前は休祝日が飛び飛びになることがあったので「飛び石連休」と言われていたこともあったが、1985年に祝日法が改定されたことにより5月4日が「国民の休日」になってからは、このような言い回しは聞かれなくなった

 

5月1日「メーデーの日」として祝日とすると、祝日法の規定により自動的に4月29日から5月5日までが超大型連休となる構想があるそうだが、すでにある勤労感謝の日(11月23日)との差別化やそもそもメーデー自体が社会主義的な発想のもとから生まれた活動であることから馴染まないという見解もあり実現に至っていない

 

現役部員にとってみれば長くなればなるほど合宿期間も延びるのでそんな構想は実現して欲しくないと思っているはずだけど、卒業して社会人になるともっと連続してほしいと思っているはずで、まぁなんとも勝手なもんだと思う

 

そんなゴールデンウィークに突入したので僕のコラムもお休みを頂き5月9日から再開したいと思っています

 

 

2017.4.28

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初任給

投稿日時:2017/04/25(火) 10:49

おそらく、今日でこの4月から新社会人になったラグビー部の大半の卒業生には初任給が支払われていると思う

 

この初任給は、学校等を卒業し正規雇用された人が最初に受取る給与のことで、それまで(大半の者が)家族の庇護の下、学生生活を送っていたところに自立と自活をするようになる第1歩であり、とても感慨深くもあり心に残る通過儀礼になるのではないかと思っている

 

ぼくも初任給の日のことはいまでも鮮明に覚えている

 

入社(銀行員だったので入行というが)してまだほとんど何もしていない20日目に作ったばかりの新規口座に15万円ほど振り込みがあり、しかも初月なので税金等も何も引かれておらずそっくりそのままの金額が口座にあった

 

研修を通じて仲良くなった同期数名と飲みに行き、自分が稼いだお金で割り勘だけど初めて支払いをしたことで「自分も大人になったなぁ」なんて実感を味わっていた

 

母親にも母の日が近いこともあり何かプレゼントをしたと思うが残念ながら何を渡したのか覚えていない、本人も覚えていないそうなので大したものを贈っていなかったと思う

 

余談だが・・・当時の銀行には給与振込専用口座があり、しかも金利は6.0%もあったので使わないでおいておいた方が良かったのだが、上限が200万円までと定められていたし、バブル崩壊後銀行経営も怪しくなり1990年代後半に大半の都市銀行に公的資金が注入された際に、そんな高金利の預金口座の存在がこの世にあること自体が世間から叩かれたので廃止となってしまった

 

 

初任給 それは多額であれば多額なほど良いと考える人がいてもおかしくはないと思うし、誇らしい気持ちになるかもしれないけど、実はそんな下らないことはどうでも良くて、それより大切なのはその時に自分が素直にどう思ったのかをしっかりと覚えていることだと思う

 

これからどんな人生を歩んでいくかはわからないけれど、初任給の日は人生で最初で最後の通貨儀礼だと思うのでその時に自分が何をしたのか、何に遣ったのかをはっきりと覚えているような素晴らしい日であって欲しいと思っている

 

そんな成蹊ラグビー部の卒業生でいて欲しいと願っている

 

 

2017.4.25

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就職活動

投稿日時:2017/04/21(金) 13:22

3/1会社説明会が解禁となり、ビジネス街やターミナル駅にはダークスーツ姿の男女学生たちの姿をよく見かけるようになった

 

ラガークラブで就職支援関係のことをしていることもあり某有名な就職サポートサイトに登録してみたが、毎日大量にメールが届き目を通そうとするとまた同じサイトの別メールが届く・・それが延々と続くので会議などでしばらく携帯から離れていると恐ろしい件数が未読状態となってしまっている

 

時間や曜日とか関係ない 休みの日でも夜中でも一日中携帯からメール受信の知らせが鳴る

 

最初のうちは学生に何か役立つことがあるかもしれないと思ったのでピックアップしながら情報を得ようとしたが、その大半は周知のことであったり、逆にそんなことはないだろうということも多かったので途中から受信後即削除していたがあまりにも頻繁なので怖くなってしまい登録解除をした

 

大量な情報が与えられることが当たり前だと思い、逆に来ないと不安になってしまう「なんとか症候群」に部員たちも陥っているのではないかと心配になる

 

ダークスーツ姿にも同じことが言えると思う

 

皆と同じことをしていないと不安になってしまうのかもしれないが、僕にしてみたらみんな同じに見えてしまうのでもったいないと思ってしまう

 

僕らの頃は・・などというと時代が違うよとか批判があるかもしれないけど、同じスーツ姿でもネイビースーツやチャコールグレー、それぞれに色のバリュエーションも豊富でスーツ一つとっても少しでも個性を出そうとしていたし、僕は運動部であることを分かり易くする為に学生服で面接を受けていた

 

その方が面接官も「運動部の方ですね、ちなみに何部ですか」なんてなるから、最初から自分の土俵で面接が始まることが多かった

 

就職活動は別に個性を争う場ではないので、集団心理的な要素が多くなるのは仕方がないのかもしれないけど、そんな精神構造では入社した後に苦労してしまうのではないかと思う

 

最近は入社3年以内の離職率が30%超えるそうだ

 

とても苦労した就職活動を経てやっと内定を得た会社にもかかわらず、なぜそんなに簡単にやめることができるのか理解に苦しんでしまうが、そもそも就職活動の入り口から間違っていたとしか思えない

 

幸いラグビー部の学生が3年以内に離職したというは話はほとんど聞かない

 

これは、学生と就職をサポートしている若手OBとの間でしっかりとコミュニケーションが取れているので入社後にギャップを感じることが少ないことがその要因であると思っている

 

そういう意味でこの時期に真のボランティア活動として学生の就職活動をサポートしてくれているOB達には本当に感謝しかない

 

 

2017.4.21

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不易流行

投稿日時:2017/04/18(火) 16:08

これは『去来抄』の中に『蕉門に千歳不易の句、一時流行の句と言う有。これを二つに分かって数え、たまえども、その基は一つなり。不易を知らざれば基立ちがたく、流行をわきまえざれば風(ふう)新たならず』の中に出てくる言葉で、不易はずっと変わらないこと、流行とはその時々に合わせて変化していくことを表現しています
 

言葉の発祥は俳諧用語としてなのですが、経営にも通じるので社訓にしている企業もありますし、教育の場でも当てはまることが多いので過去の中教審でも使われたことがあります
 

ラグビー部としては不易は90年を超える伝統力のこと、流行はその時代を担う学生たちの環境や戦術への対応力と置き換えられるのではないでしょうか
 

成蹊大学ラグビー部は強豪ひしめく対抗戦で戦える栄誉が与えられていますが、それは過去のリーグ再編問題が起きた時に冷静な判断を下された先輩方の遺徳であり、それを強みとして守り続けてきていることが伝統力です、また、現在はそのAグループという大学ラグビー最高峰の中で戦い続けられているということは現役たちの弛まぬ努力の結果ということになります
 

かの松尾芭蕉が俳句の上達方法を門人に聞かれた際に『過去の自分に飽きること』と答えたそうです
 

常に努力を重ねつつ新しい自分やチームの方向性を見出そうとすることが進歩と変革に繋がっていくことを信じて毎日を新しい自分を発見することに挑戦していって欲しいです

 

2017.4.18

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奇跡の人

投稿日時:2017/04/14(金) 15:22

 

新しい環境にも慣れたのでコラムを再開したいと思っていますが・・・今日で熊本地震発生からちょうど1年が経ちました

 

清正公が建てた熊本城が崩壊した姿に愕然としましたが、最大震度7の地震が短期間で2回も発生し、震災関連を含めれると225名の尊い命が失われました

 

昨日のTVニュースでは震源地の益城町で約1年ぶりに学校給食が再開され喜ぶ小学生の姿が映し出されていましたが、私はまだ被災地が復旧途上であることに気づかされました

 

ここに改めましてお悔やみを申し上げますと共に被災地に寄り添う心を持たなければならないと感じています

 

 

さて、今日の題は奇跡の人ですが、我々が一般的に思い出すのは『The Miracle Worker』のヘレン・ケラー女史のことである が しかし、まず、そもそも奇跡の人は我々が思い描いているヘレン・ケラーのことではなく彼女の家庭教師であったアン・サリバン先生のことを言うらしい

 

おそらく、多くの人が誤解をしていると思う

 

そんなサリバン先生は1866年の今日(4/14)合衆国マサチューセッツ州で生まれたが、3歳の時に罹った病気により盲目となってしまった

 

パーキンス盲学校に入り訓練と手術により視力を弱視程度に回復することとなったようだが、この時の経験がヘレンケラーの3重苦(視覚、聴覚、聾唖)を克服させるために役立ったと言われている

 

サリバン先生とヘレン女史との出会いには、あることで有名な人がかかわりを持っている

 

その人の名は『アレクサンダー・グレアム・ベル』、そう彼は電話の発明者として有名だが家庭環境(母親と妻が聾唖者)もあり、しょう紅熱が引き起こす聾唖の研究をしており、聴覚障害教育の研究者だったのでサリバン先生をヘレン・ケラー女史に紹介したのだ

 

ヘレン・ケラー女史が起こした奇跡はここで述べるまでもありませんが、そこにはサリバン先生の強い影響があることは想像に難いです

 

彼女が残した有名な言葉を紹介します

 

『失敗したら初めからやり直せばよいのです、そのたびにあなたは強くなっていくのだから』

 

『The iracle Worker』には何かに働きかけて奇跡を起こす人という意味があるそうなので、今年の成蹊ラグビーは全員がサリバン先生となって奇跡を起こしてほしいと思っている

 

 

2017.4.14

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桜前線

投稿日時:2017/03/24(金) 17:02

『前線(weather front)』というのは気象観測用語であり寒気と暖気が接触して発生した面が地上と交わることで、この『桜前線』は1967年ごろからマスコミが使い始めた造語で全国の開花予想日を天気図の等圧線に似たような曲線で表現したものだ

先日(3/21)東京で桜の開花宣言があり、これは平年よりも5日早く、昨年と同日である

開花宣言にはそれを予測するための標準木が全国に定められており、東京のそれは靖國神社内にある

観測対象の標準木は、沖縄地方は「カンヒザクラ」、本州は「ソメイヨシノ」、北海道は「エゾヤマザクラ」、又は「チシマザクラ」とされており、それを全国の観測員が調査し、標準木の桜の花びらが5~6輪咲いた状態で開花宣言となるらしい


それにしても我々日本人は『桜』が大好きである

平安時代の国風文化の影響により、桜は花の代名詞となり特別な位置を占めるようになったが国花ではない(ちなみに菊でもない・・菊は皇室の象徴花) そもそも日本には国花が(法定上)ないそうだ

それでも、桜は多くの公的機関でシンボル化されている 

100円硬貨にも刻印されているし、自衛隊の徽章にも使われている 

ラグビー日本代表のエンブレムも桜であるし、成蹊学園のラグビー祭も時期はかなり違うのに『桜祭』となぜか呼ばれている


観桜会(花見の宴)は春の風物詩であり、この時期になると仕事よりも一生懸命になる人が続出する 僕も若いころ会社の花見会の場所取りに駆り出されたし、出遅れたときには場所を確保してくれる怪しい人に頼んだりした覚えもある 

清濁併せのんでも良い雰囲気をこの花見が作り出しているのかもしれない

桜は日本人の精神的支柱の役割を果たしていると思うが、その散り際の潔さが日本人の美徳としている精神構造と合うのだろう 

戦時中はその散り際と重ね合わせたかのように悲しくも兵器の名前にも使われていたこともあるが、戦後はアメリカ合衆国の首都ワシントンのポトマック河畔の桜並木のように両国の和平友好のために贈呈されたこともあり、今では『桜』は平和の象徴となっているようだ

日本の桜がこれからも世界中の国々で咲き誇り、日本国が平和を愛する国であることを象徴する存在となっていくことを願っている


Ps
大変恐縮ですが、来週再来週は期末期初週間ということもありコラムをお休みさせて頂きます


2017.3.24
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お彼岸

投稿日時:2017/03/21(火) 17:42

昨日(3/20)は彼岸の中日 つまり、春分であった

彼岸とは雑節(節分、八十八夜、入梅、土用など)の1つで春分・秋分を中日として前後3日間を併せた各7日間のこと

今年の春分としては 彼岸の入りが3/17、彼岸明けが3/23である

一般的には中日にご先祖様のご供養をし、残る6日間は悟りの境地に達するために必要な6つの徳目『六波羅蜜』を1日に1つづつ修める日に充てるとされている

六波羅蜜(もしくは六波羅蜜多)とは仏陀になり得る資質を獲得するために実践する項目のことで以下の6つになる

①布施波羅蜜:財施(喜捨)、無畏施、法施など見返りを求めず分け与えること
②持戒波羅蜜:戒律を守ること
③忍辱波羅蜜:耐え忍ぶこと
④精進波羅蜜:努力すること
⑤禅定波羅蜜:特定の対象に心を集中すること
⑥智慧波羅蜜:前の5つの波羅蜜はこれを成就するための手段であるとのこと

『日本後記』によると806年に初めて彼岸会(お彼岸の期間に行う仏事)が行われたそうで、春分と秋分の日には太陽が真東から昇り真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し遥か彼方の極楽浄土(西方浄土)に思いを馳せたのが始まりとされている

彼岸には「ぼたもち」、「おはぎ)」をお供えし食べる風習があるが、これは彼岸の頃に咲く牡丹(春)、萩(秋)に由来すると言われている


ラグビー部的には、②規律(ルール)を守り、③厳しい練習に耐え忍び、④常に強くなろうと努力をし、⑤対抗戦で勝つことを目的として常に集中することで⑥『智と慧』を得ることができ目標を達成できるのだということになる

1週間はちょうど7日間あるので、毎週毎週お彼岸のつもりで過ごしてほしい


2017.3.21
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St Patrick's Day

投稿日時:2017/03/17(金) 14:03

本日3月17日はアイルランドでキリスト教の布教活動に努めていた聖人パトリックの命日であり、『緑の日』と言われ、1905年よりアイルランド共和国の祝日となっている

シャムロック(3つ葉のクローバーに代表される葉が3つに分かれている草の総称)を洋服に飾ったり、(米国シカゴでは)川を緑色に染めたり、緑色のギネスビールを飲むなどアイルランド系やカトリック系の人たちだけではなく、多くの国や地域で盛大なパレードが行われ、日本でも横浜元町や原宿表参道などでパレードが行われている


アイルランド共和国 国土面積はおよそ7万キロ㎡で世界245国と地域中120番目で日本の約1/5、人口も450万人ほどで119番目 GDPは41位ながらも2005年度の英国「エコノミスト誌」によって世界で最も住みやすい国と評価されたこともある 

かつてはポルトガルとならび最貧国の一つであったが、1990年代以降 EU統合と外資系企業投資により2000年までの経済成長率は10%を超え、世界的に急成長を遂げた国である 以前は農業に依存していたが、現在では輸出を中心とした貿易が経済の中心となっている

僕たちラガーマンにとってアイルランドと言えばIRB創設協会8か国の1つであり、6Nationsのラグビー強豪国の1つであり、好きな人も多いのではないだろうか

斯くいう僕も実はラグビーではアイルランドが昔からなぜか好きだ

ラグビーW杯でも最高成績はBest8までだし、ブライアン オドリスコルを擁し期待されていた2009年度ではグループリーグ敗退と言う結果で国民を失望もさせた 2014,2015年は6Nationsで2連覇を果たしたが、1970年代のウエールズのようにRed Dragonと恐れら れたような圧倒的なイメージをもたれたこともない

でもなぜアイルランドのラグビーに魅かれるのかを考えてみると、やはりこの国の成り立ちから常に宗主国的な存在のイングランドへの敵対心からうまれる激しい闘争心を伴うプレースタイル(アイリッシュ魂)が魅力的なのだ 

1920年ゲーリックフットボール(アイルランド独自のフットボール)の試合中に英国軍がアイルランド人を虐殺した不幸な出来事があったことをきっかけに、それ以降のテストマッチでは必要以上のラフプレーの応酬となったこともあったと言われている

2007年に歴史的な和解を遂げ、今では両国の国歌斉唱の時にブーイングが飛び交うこともなくなった 

この19日日曜日にイングランドvsアイルランドがある

イングランドの2年連続グランドスラムを自国首都ダブリンでぜひ阻止してほしいものだ

2017.3.17
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サウジアラビア国王来日

投稿日時:2017/03/14(火) 13:11

日曜日からサウジアラビアのサルマン国王来日ということでその豪華な一行が連日報道されているが、予想されていた『爆買』はそれほどでもなく勝手に期待していた関係者をがっかりとさせているようではあるが、そもそも来日の目的が違うのだからしょうがない

アラビア半島の約80%を占める広大な国土(日本の6倍)には世界一の原油が埋蔵されており、世界の原油の13%を供給しているOPECの盟主的存在である

そんなサウジアラビアではあるが、外貨獲得手段がこの天然資源採掘と輸出しかない中、近年では原油価格の下落で財政状態は逼迫しており、また、製造業はほとんど存せず、観光業も巡礼者(メッカとマディーナ)と業務渡航者以外を受け入れていない状態であり、経済構造のもろさが露呈してきている

そんな将来的不安を見据えて2015年にムハマンド皇太子が『サウジ・ビジョン2030』を策定

製造業や公共投資、観光や教育の重視を柱とした成長戦略を掲げ、この分野で先進的な役割を果たしている日本等に協力を求めるために来日してるのであり、暢気に観光旅行に来たわけではないのだ

日本の後には中国へも訪問するらしい

日本と中国とを両天秤にかけ、競わせ、より有利な条件を提示した国との国交を深化させようとしている

やはり中東国家らしくその辺はしたたかだ

元々、国の歴史は浅く、現サウジアラビアを国家として最初に承認したのは旧ソ連であったが、絶対君主制国家が計画経済政策を採用できるはずもなく、君主制維持のために西側諸国とも親しくしており、またユダヤ国家であるイスラエルとは対立状態ではあるが、他のイスラム国家ほど表面的に対立関係を表しているわけでもない 

原油と言う現時点では最強の国家資源を有効利用し、全方位外交政策を採用しているサウジアラビアとの国交深化は一筋縄ではいかないだろう

『日本・サウジ・ビジョン2030』の合意をきっかけにどこまで両国が信頼関係を気付き長年に亘って相互補完して行けるのか資源が少ない日本国にとってはかなり重要な国策となる

TVや新聞等はその点をしっかりと報道すべきであり、興味本位にご一行の爆買ばかりを追いかけているようでは購読者は減り、視聴率も下がる一方となってしまうと思う


2017.3.14
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忘れてはいけないこと

投稿日時:2017/03/10(金) 16:03

3.11 日本人にとっておそらく忘れることはできない、と言うよりも忘れてはならない日がやってくる

死者行方不明者18,455人、建築物の全半壊400,326戸、震災ピーク時の避難者数40万人以上、停電世帯は800万戸(計画停電と言う言葉が使われていた)

被害総額は25兆円、自然災害による経済喪失額としては史上1位と言われている


あの時、僕はけやきグランドにいた

就職活動が本格化し、小林大輔(H23年卒 清水建設勤務)の筆記試験の結果が出る日だったので気になってグランドに来ていたのだ

本人から筆記が通過したという連絡を受けたのでホッとしつつ、学生たちと色々と話し込んでいた時に突如ドーンと物凄い音がして、その後すぐにグランドが激しく揺れだし立つことができなくしゃがみこんだことを覚えている

いつまでも続く大きな揺れ、大学体育館の上部の窓ガラスが割れ、西部室柔道場の窓ガラスもグランド見て分かる程に波打っていた


ついに関東大震災が起きたのだと思い、天災は忘れた頃に・・・本当にやってくるんだと思い、(災害時に)奥さんとどこで落ち会おうとしていたかを思い出そうとしながら防災準備を何もしていないなぁなんて漠然と不安を感じ始めていた


揺れも収まったので震源地などの情報を得ようとしていたら、(当時の)ワンセグ画面には巨大津波の映像が流れてきたのでとてつもないことが起きたのだとその時判った

仙台出身の学生(ヨネスケと泰人)がおり、彼らは必死に携帯で実家と連絡を取ろうとしていたが全くつながらない様子 何かの情報番組で震災の時には携帯よりも固定電話の方が繋がる確率が高いと言っていたことを思い出したのでそれを伝え、守衛所にある公衆電話から電話をしたところ自宅に連絡がつき、かつ家族の無事を確認できたので2人が安心していた様子を覚えている

練習どころではなくなったので自宅に戻り、既に帰宅できずにいた数名の4年生を収容し、TVから流れてくる映像を食い入るように眺めていた

震源が東北沿岸の広範囲であること、マグネチュードが9.0、最大震度が7であること、東北沿岸部に莫大な被害が起きそうなことが刻々とわかってきた

22時ごろに奥さんと連絡が取れ、何とか動き始めた大江戸線で中野坂上駅までは帰って来れそうだというので、近所に住む和田憲明(H23年卒 横浜ゴム勤務)の車で向おうとしたものの幹線道路はすでに大渋滞、ナビを駆使しながら住宅地を、時には(緊急時だからということで)一方通行を逆走とかしながら何とかたどりつき、本当に偶然にすぐに出会えたので奥さんも無事に戻ることができた


あれから6年経った

僕は現職で『震災支援機構』という東日本大震災によってできた国の機関に勤務しているので、復興の状況は一般の人よりは把握と理解をしている

復旧は大分進んだが、復興はまだまだである

おそらく、明日はどこの放送局でも3.11に因んだ報道特集を組んでいるだろう

どの番組でも良いので部員たちには必ず見てほしいと思っている 当時から現在までの復興の進捗状況を日本の若者としてしっかりと認識をして欲しい

そして、しっかりと3.11を心に刻んでほしい それだけすごいことが起きた日なのだと 

2017.3.10
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サウナの日

投稿日時:2017/03/07(火) 15:53

香港A型のインフルエンザに罹ってしまい先週1週間(コラム2回分)をお休みさせて頂きました・・・・すみません

それにしても熱が全く上がらない(平熱の35度前後)でのインフルエンザというのは不思議な感覚ですね


さて、今日は『サウナの日』 単純に3月7日の語呂合わせだそうだ

そういう僕はサウナが大好きでよく利用していた

『していた』としたが、なぜ過去形になってしまっているのかと言うと昔ながらの「サウナ」がもうあまり都心で見られなくなっているからだ

最近はスーパー銭湯になってしまっていることが多く、僕の好きなサウナはもうほとんどなくなってしまい少しさびしい気がする


サウナでは色々な思い出がある

〈その1〉
もう時効だと思うので・・・・・
20代半ばの銀行員時代、バブル真っ只中の某G支店時代 前日に痛飲してしまい激二日酔い状態だったので8時40分始業と同時に支店を出て、汗と共に酒を抜こうと思い自転車で10分ほどのサウナに直行、階段状の木製のスタンドに座りぼっ~としていたら、見慣れた顔の人がサウナ室に入っこようとしている

ヤバいと思って近くにあった乾燥してカピカピの週刊誌で顔を隠そうと思ったら、隣に座っていたその筋の人から『あんちゃん、それ俺のだよ』と言われ、やむなく顔を隠すのをやめた途端に入室してきた人とばっちりと目が合ってしまった

その人は当時の僕の上司で・・・バツの悪いことといったらこれ以上には無いくらいだったが、身分は違うけどしていることは同じだと思って開き直って「おはようございます」なんて挨拶したところ、「このことは今日限りのここだけの話にしよう」と言われホッとしたと同時に二日酔いも吹っ飛んでしまった

〈その2〉
自由が丘方面から環状8号線向っていく環8沿いの住宅街にラドンサウナがあった

そこは4階建てくらいで最上階が畳張りで昔ながらのかき氷とかやきそばとかを出してくれるところで夏の暑い時のサウナの後のかき氷がとても美味しくて大好きなところだったのだが、1度の失態で2度と怖くて行けなくなってしまったところであるが・・・・

サウナの中にはテレビが見れるようになっているところがあるが、そこにもTVがあって最初は僕一人で観ていたお決まりのプロ野球中継でお決まりの巨人とどこかのゲームだった

僕は大の「巨人嫌い」で、その日は巨人が珍しく負けていたので嬉しそうに・・巨人の選手が三振とかする度に喜んでいたのだろう・・・興奮していたのかいつの間にかもう1人室内に居ることに気付かずにずっと喜び続けていた

すると我慢できなくなったのだろうそのもう1人の人が僕に向かって『巨人軍が嫌いならここから出て行ってくれ』とすごまれてしまい、誰かと思って良く見たら『栄光の背番号7 柴田勲』だったので、あっさりと『それはそうだなぁ、場所が悪かったなぁ』となぜか納得してしまい出てきてしまった

それ以来、あのサウナに行くと柴田勲が居るのではないかと思っていけなくなってしまっているうちに閉店となってしまったようだ


仕事を抜け出して罪悪感に苛まれながらこっそりと行くサウナの何気ない退廃ムードが大好きで、入浴お断りのはずのその筋の方もその風景に溶け込んでいて、主の様にずっと動かないおやじどもの忍耐力に感心できたあの当時のサウナが本当に懐かしい


銀座テアトル、東京温泉、後楽園サウナ このうちの一つで良いから復活してくれないかぁと心底思っている


2017.3.7
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プレミアムフライデー

投稿日時:2017/02/24(金) 13:28

今日からプレミアムフライデー(Premium Friday)がスタートとなる
 
これは、経済産業省と日本経済団体連合会などの経済団体が昨年の12月12日を第1回とした『プレミアムフライデー推進協議会』を開催、協議してきたもので、毎月月末の金曜日午後3時を目処に仕事を終えるように企業に呼びかけるキャンペーンの名称のこと
 
その第1回が今日 2017年2月24日金曜日で、今後毎月末の金曜日はプレミアムフライデーとして推進していくようです
 
個人が幸せや楽しさを感じられる体験(買い物や家族との外食、土日と合わせた小旅行など)、そのための時間創出を促すことが目的とされていて、旗振役の経産省としては、『月末の金曜日は、ちょっと豊かに』という発想の下、根拠データの「給料日後の月末金曜日には平均消費額が高くなる傾向」に着目、そこで、月末金曜日に消費者がプレミアムに感じるモノやコトを味わうことで、日常より少し豊かな時間を過ごすことができるという思いがあるようです
 
第一生命経済研究所の試算では、国内の大手企業や中堅中小企業の従業員が一斉に午後3時に仕事を終えて買い物や旅行、娯楽等の消費を行うと仮定すると、その消費額は1,230億円に上るとされ、1,300億円の「ハロウィーン」の市場規模に匹敵すると推計しています
 
 
僕の個人的な意見としては、1980年代後半から2000年代初期まで文部科学省が推進してきた『ゆとり教育』の二の舞になるような気がしてならない
 
国として半強制的に実施しない限り、国内の大手企業や中堅中小企業が一斉に・・・なんてことができるのかどうか疑問がある
 
部署によっては一番忙しい時だし、正社員ならいざ知らず、時間給等の給与体系の社員・パートにとっては所得が減るのだから不公平な気持ちしか感じないだろうし、逆に様々な問題点が浮き彫りになると思う
 
 
最終的にはあのプレミアムフライデーは失敗でした・・・なんてことにならないように、僕の想像が将来的に外れていましたね!となることを祈っています
 
 
2017.2.24
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菅原道真

投稿日時:2017/02/21(火) 13:43

学問の神様として有名な菅原道真(スガワラノ ミチザネ)は901年の本日(2月21日)に大宰府に左遷された

現代の企業内もよくある勢力争いなどから起こる『妬み』 この場合は藤原一族との権勢争い から失脚を余儀なくされ、醍醐天皇によって大宰府に流されました

大宰府とは筑前国に設置されていた地方行政庁のことで、西国道(現在の九州全域)を統治する機関に大宰権帥として送られ、失意のどん底状態のまま恩赦を待ち続けながらも2年後の903年に当地で亡くなりました

道真の死後、京の都では彼の失脚に暗躍した人物、醍醐天皇の皇太子の逝去、藤原大納言の落雷直撃死など多くの不可解な事故が続出し、それらを人々は道真による『祟り』だとおそれ、彼の死後20年後に天満天神の号を与え祀るようにしました

それにより建てられた天満天神神社は全国に拡がり、特に、太宰府天満宮は道真の遺徳を偲ぶため、北野天満宮は道真の霊を鎮めるために建てられたと言われています

道真が学問の神様として祀られる理由は、家柄の好さで出世をしていったのではなく、詩歌の才能(=学問の力)によってその実力を示し出世を遂げて行ったことによります


道真を祀った有名な神社

☆日本の三大天神
太宰府天満宮(福岡)
北野天満宮(京都)
防府天満宮(山口)

☆関東の三大天満宮
湯島天満宮(東京 湯島)
亀戸天神社(東京 亀戸)
谷保天満宮(東京 国立)


近くに行かれた際には、道真の無念を思いながら自分の学問的才能が少しでも成長するようにお祈りをするのも良いのではないでしょうか


2017.2.21
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大学生として知っておいた方が良いと思うことPart1

投稿日時:2017/02/17(金) 16:40


シーズン始まって今は身体づくりが中心でありTopixも中々見つからないので・・・就職活動が本格化してきている4年生の為にもこれくらいのことは知っておいて欲しいと思うことをまとめてみることにした第1弾
 
まずは経済活動の中心的役割を果たしている銀行界に目を向けてみます
 
<都市銀行再編>
都市銀行の定義は、1968年10月から始まった「金融制度調査会」第1分科会における「普通銀行の諸問題」の審議にて、「普通銀行のうち6大都市またはそれに準ずる都市を本拠として、全国的にまたは数地方にまたがる広域的基盤をもつ銀行」とされており、当時は、第一銀行、三井銀行、富士銀行、三菱銀行、協和銀行、日本勧業銀行、三和銀行、住友銀行、大和銀行、東海銀行、北海道拓殖銀行、神戸銀行、東京銀行の13行が都市銀行と称されていた。
 
僕が1987年に社会人となった時には、上記の13行が合併や業務転換を重ねた結果、以下の13行に集約されていた
 
☆1987年当時の都市銀行
①三菱銀行、②三井銀行、③住友銀行、④富士銀行、⑤三和銀行、⑥第一勧業銀行、⑦協和銀行、⑧埼玉銀行、⑨太陽神戸銀行、⑩東京銀行、⑪大和銀行、⑫東海銀行、⑬北海道拓殖銀行
 
これが現在の『MEGA』となっていった変遷を(年次で追うと大変なので)at randomにまとめてみた
 
A)①と⑩が合併し⑭東京三菱銀行となり、⑤と⑫が合併し⑮UFJ銀行となり、⑭と⑮が合併し⑯三菱東京UFJ銀行(2006年)
 
B)②と⑨が合併し太陽神戸三井銀行となり、のちに⑰さくら銀行となり、⑰と③が合併し、⑱三井住友銀行(2003年)
 
C)④と⑥、それに日本興業銀行が合併し、みずほ銀行とみずほコーポレート銀行となり、⑲みずほ銀行(2013年)
 
D)⑦と⑧7が合併し⑳あさひ銀行となり、⑪と⑳が合併し、りそな銀行、埼玉りそな銀行(りそなHLDS 2003年)
 
E)⑬は1997年経営破綻
 
赤字で示した銀行が現在の国内4大銀行となり、この中でMEGAと称されるのは三菱東京UFJ、三井住友、みずほの3つと言われている
 
<金融業界を目指す学生への推薦図書>
①トップレフト:黒木 亮
②オレたちバブル入行組:池井戸 潤
③金融腐蝕列島:高杉 良
④ハゲタカ:真山 仁
⑤雄気堂々:城山 三郎
 
 
あえて言うけど・・・MEGAだから良いと言うわけではなく、地域に根付き、地元経済の発展に貢献している銀行は他にもあるということは知っておくべきだろうし、実は信託銀行や長信銀も合併や破綻をしているので興味がある人、金融業界を志そうとしている人は自分で調べてみることをお勧めしたい
 
2017.2.17
SRFC
Taro.S
 
 

箱根駅伝

投稿日時:2017/02/14(火) 16:59


世間ではSt.Valentine's Dayであり『ほのぼの感』が漂っているけど、うちのラグビー部の連中の感じではそんなところからかけ離れたところで淋しく皆で固まっていそうなので、あえて話題を全く変えることにした

今では正月(1/2~3)の風物詩として、関東地方の大学しか出場しない大会にも拘らずTVの全国中継がなされるほど日本中の注目度が高く熱心なフアンも多い一大イベントとなっているが、実は、その第1回大会は1920年(大正9年)の2/14に開催されている

なぜ、2月に開催されたのかは諸説あり、中でも寒さと雪の関係で観光閑散期となっていた2月の箱根の町おこしイベントとして行われたという説が有力視されているが、翌年の大会から1月の第2週周辺の時に変更となっているのでこの説はなんだか怪しいものである
※現在の1/2~3に変更となったのは1955年(昭和30年)の第31回大会からであり、その理由は交通渋滞を避けるため

正式名称は『東京箱根間往復大学駅伝競争』、1920年(大正9年)以降、戦中戦後に何度か中止の時もあったが、1947年(昭和22年)から再開され2017年青山学院大学が3連覇を果たした大会で93回目を迎えた


成蹊学園はイメージとして箱根駅伝には無縁のように思えるが、実は1952年(昭和27年)の第28回大会に初出場(これが最初で最後)、しかもラグビー部の先輩方の応援出場があったと言われている

この時の記録が成蹊大学体育会三十周年記念誌(昭和58年1月発行)の中で、大学1回卒の宮田隆先輩の寄稿文にあるので抜粋して紹介したい

~前文有り・・・尚、二つの運動部が協力して対外試合に参加したことがあるので特記したい。昭和27年正月(1/6~7)に行われた関東大学箱根駅伝に参加したことである。陸上競技部の山岸常夫主将より協力依頼があり、ラグビー部は喜んで応じた。一区 山岸(陸)、二区 村瀬(ラ)、三区 宮田(ラ)、四区 黒宮(ラ)、五区 佐藤(陸)、六区 佐々木(陸)、七区 斯波(ラ)、八~十区は橋本、荒井等の陸上部員で編成された。~以下後文有り

※ちなみに上記の(ラ)の先輩方は、大学1回卒 宮田隆先輩、村瀬信次先輩、大学5回卒 黒岩一浩先輩、斯波良夫先輩 4名の先輩方であると思われる


結果は出場14校中14位だったようだが、先輩方の苦しみながらも楽しんでいる様子が伺える記録があるのは嬉しく思うし、粋な姿を知ることができた


やはり、ラグビー部の先輩方は本当に素晴らしいし、色々な角度から伝統の重みを悟り、しっかりと継承していかなくてはならないと改めて感じている


2017.2.14
SRFC
Taro.S
 

シーズンイン

投稿日時:2017/02/12(日) 13:56

2017年度のシーズンがついに始まった

チームスローガンは『UNITE』とのことであるが、このスローガンが掲げられるのは2度目になる

1度目は尾上主将(現 西部ガス勤務)の時で、前年度に5年間守り、戦い続けてきた対抗戦Aグループから陥落したところを1年目で返り咲かせた縁起の良いスローガンである

思い起こせば・・・・・・あのジョモ(尾上主将)の代は、後にトップリーガーとなった3人(三浦豪 嶺の双子、藤本健友)を擁しながらも彼らに頼りっきりではなく、4年生11名中10名がスタートメンバーということで最上級生としての自覚を有し、責任もしっかりと果たしていた代であり、また日常生活でもとても仲が良い代であったと記憶している

卒業して30年経ち、それ以降のほとんどの代におけるチーム状況を観てきている僕にとって、4年生を観点としたチームの特徴は大きく3つに分けられると思っている

①いつも仲が良くて、クラブ活動でも纏まりを見せるチーム
  例:板井主将、田中主将、島野主将、山崎主将、山口主将、尾上主将、井上主将、石田主将の各代

②普段はバラバラながらも、クラブ活動においては纏まりを見せるチーム
  例:大崎主将、竹石主将、立松拓主将、三添主将、藤巻主将、池田主将、小林(大輔)主将の各代、

③普段もクラブ活動中もバラバラなチーム
  例:あるけど・・発表できない

実は本当はもう一つのパターン つまり ④普段は仲良いがラグビーにおいてはバラバラなチームというのもありそうだが、僕の経験の中ではそういう代を見たことがないし、仮にあったら最悪なチームだと思う


今年の牛山主将の代はどのような代であり、またどのような戦績を残していくのだろか 現時点では楽しみでしかない


彼ら自身が卒業後に自分たちの4年生の時のことを思い出した時に、全てのことが良い思い出となっていることを祈りながら今年の彼らの躍動を期待している


2017.2.12
SRFC
Taro.S

総括

投稿日時:2016/12/28(水) 00:00

今年の総括として数値的な点で捉えてみたいと思ったので以下に表してみました

☆TeamSenior
春交流試合 トライ18、失トライ56 得点106、失点370
夏練習試合 トライ11 失トライ19 得点69、失点117
秋冬対抗戦 トライ6、失トライ69 得点44、失点458
最終入替戦 トライ4、失トライ4 得点29、失点26

合計 トライ39、失トライ148 得点248、失点671

☆TeamJunior
春四大学戦 トライ18、失トライ8 得点120、失点53
夏練習試合 トライ11、失トライ19 得点65、失点125
秋練習試合 トライ1、失トライ11 得点5、失点71

合計 トライ30、失トライ38 得点190、失点249

総合計 トライ69、失トライ186 得点438、失点920
※除く甲南大定期戦


こう表してみると・・SeniorもJuniorもトライを取られまくったことが良く判る中、Juniorは4大戦においては自分たちの役割をよく果たしていたとも言えます

それにしてもこうして俯瞰的にみると入替戦は本当によく勝てたと思うし、『ここ!』と言う時の集中力の素晴らしさと『やるときはやる!』という伝統は活きていることを証明してくれました


4年生は4年間本当にお疲れさまでした

これからもっと厳しい世界に立ち向かっていくときに この4年間の経験が必ず役立つときが来ると思うので身体を労わりつつも奮闘して下さい

下級生はこの結果をみて、まだまだ成長できるところが沢山あることが理解できたと思うので、来シーズンの目標を立てる上でも参考にして欲しい


さて、10月20日より毎週火曜日と木曜日をコラムの日としてこの欄に投稿させてもらってきました 

その理由は、『成蹊コラム』というものがあるにもかかわらず、ずっと更新されていない状況に対し『成蹊』の名前を使う以上軽んじてはいけないという思いが強くなってきて、ずっとコラムの投稿者をOBを中心に探してきたけど出現しなかったのでやむを得ず言い出しっぺでもあるので自分でまずはやってみようと思って始めたのです

思いついたことを書き連ねるつもりでしたが、適当なことは書けないと思い文献なども調べるようになり自分自身の勉強にもなったという思いがあります

どれだけの人が読んでくれているのか判りませんが、やはり一番は現役部員に読んでほしいと思ったし、これによりOBの思いだとか成蹊の歴史だとかラグビーそのものにより理解を深めてほしいという思いが強いです

来年も続けるかどうか分かりませんが、続けるとなれば自身の文章力だとか構成力だとか高めていかないといけないと思っています


最後になりますが、年の瀬も押し迫ってきてご多忙な日々を過ごされていると思いますが、ここに年末のご挨拶とさせていただきたいと思います

旧年中は種々お世話になりました

また、このコラムの中では失礼なことだと感じられた方もいらっしゃると思いますのでここにお詫び申し上げます

来年も成蹊学園ラグビー部と成蹊ラガークラブの活動にご理解とご支援を賜りたくお願い申し上げます


2016.12.28
SRFC
GM Taro.S

甲南大学定期戦

投稿日時:2016/12/15(木) 00:00

いよいよ2016年平丸組の最終公式戦となる甲南大学との定期戦が12/17(土)に六甲アイランドの甲南大学グランドで行われます

なぜ、土曜日に試合を行うのかと疑問に感じる方もいると思いますが、現在の池田監督が4年生の代 ちょうど『成蹊けやきグランド』の開場記念試合となった定期戦前日(土曜日)に両校3,4年生の懇親会が盛大に行われ、あまりにも盛大に行われ過ぎたために翌日の試合の両校のパフォーマンスに多大な支障をきたしたことがあったので、その反省を活かした結果として現在の形となったのです

この経緯も説明したほうが良いかもしれません

自分たちの時代も同じように試合後に盛大な懇親会があったぞ!と言われる世代も沢山あると思いますが、一時期両校の学生間交流が希薄になり、単に遠隔地に試合をしに行くだけ、試合後も簡単なアフターマッチファンクションをするだけの関係となってしまい、このままでは定期戦の存続に危機感を抱いた両校OB達が未成年ではなく心置きなく飲酒ができる3,4年生の懇親会を実現させようとしたこと(それが池田監督4年生の時)が現在も続いているというものです


今年で第64回目となる伝統の定期戦の第1回は昭和29年 秩父宮ラグビー場で行われたそうで・・・・結果は手元に記録がないので残念ながら判りませんが、対戦場所についてはおそらく物凄い力を持ったOBが両校に存在したことが想像できます

いつからお互いのグランドを隔年で訪問し合う現在の対戦形式になったのか不明ですが、僕が大学2年生時までは甲南大学グランドはJR東海道線(JR神戸線)摂津本山駅の南側線路沿いにあり、試合中に時折通過する電車の音で試合中の声がかき消されたことが思い出されますし、現在のグランドでの定期戦は大学4年生の時が最初でした


2004年(平成16年)に『南郷茂治盃』が創設され、それ以降は南郷盃争奪戦となっています

この南郷茂治先輩については我々もしっかりと記憶し、伝承していかなくてはならないと思うので以下に紹介をします(内容については甲南大学学報誌に掲載された元甲南大学ラグビー部顧問である藤田宏郎法学部教授の寄稿文より抜粋しています)

南郷先輩は、昭和6年旧制成蹊高校から東京大学文学部に進み、昭和9年に東大を卒業 成蹊高校時代にはラグビー部主将として活躍され、成蹊史上でも偉大なラガーマンとして謳われています

昭和11年旧制甲南高校の西洋史の教授となり、同時に同校ラグビー部部長となられたそうですが、このご縁は南郷先輩のご尊父である南郷三郎氏と甲南学園創立者である平尾釟三郎理事長との間に親交があり、招かれたことから始まったと言われています(平尾理事長は英国パブリックスクールで盛んにおこなわれているラグビーがスポーツマンシップ、フェアプレー精神を育むのに一番良いと考え、甲南学園にラグビーを推奨された方だそうです)

昭和16年甲南より旧制成蹊高校へ戻り、その後戦時下の昭和18年海軍司政官としてインドネシアセレベス島に赴任、現地日本人学校長として活躍し、復員後は多くの企業の役員を務められ 昭和62年ご逝去されました

この南郷先輩は私が大学1年生のOB総会の時に拝見した覚えがあります・・・両サイドを同じく旧制高校の先輩方に支えられながら『この南郷さんは満州に渡って馬賊になると言っていた男だよ』と紹介され、はにかんだ様子でニコリとされていた姿を覚えていますし、また南郷先輩のご子息である南郷茂隆さんもラグビー部の先輩(1969年 昭和44年卒)です


このように成蹊学園と甲南学園との両学園ラグビーの懸け橋となり、その発展に多大なるご貢献をされた南郷先輩の遺徳をしっかりと理解をし、これからも永遠に受け継いでいかないといけないと改めて感じております



今週末の試合が素晴らしいものとなり、両校部員が新しい友情を育んでいくきっかけとなるように祈念しています


2016.12.15
SRFC
GM Taro.S

入替戦

投稿日時:2016/12/13(火) 16:00

後半39分からモールを組み続け、ロスタイムに入った最後のワンプレー、ここで笛が鳴ったらノーサイドギリギリの44分にNO8清水拳がグランディングし逆転に成功した

精神的な状態を考えたらこんなことは言えないが・・・比較的イージーなGKを平丸主将が決めた瞬間にノーサイド

こんな劇的なことが起きるのかと暫く呆然としてしまった

後半30分 4点差に迫り勢いに乗りかけたのにマイボールスクラムを立教に渾身の一撃で押し込まれ、奪われたまま上手に攻め込まれ右隅にトライを奪れ9点差 相手は前半から熊谷の風をパーフェクトの読み切りきり、綺麗な円弧を描けるキッカーなので11点差を覚悟した

風を読み過ぎたのかボールは珍しく右に逸れていきなんとか9点差のままで済んだ 相手のミスを喜ぶのはスポーツマンらしくないとは思いつつラッキーと心の中で成蹊を応援してくれている神様たちに感謝をしていた

時間はまだあるのに慌てだす成蹊 タックルも決まらずゴール前に攻め込まれ、たまらず不用意な反則を犯し、絶体絶命のゴール前ラインアウトの機会を与えてしまう 

なんであんなところに寝てるんだすぐに起き上れ!!選手の背番号を見ながら怒りがふつふつと湧いてくる


立教のスローワーは交代で入ってきた選手 熊谷の風に慣れていなかったのか痛恨のノットストレート ホッと胸をなでおろす

これが大きな攻守交代の転機になったと思うのだが・・・その後の展開は興奮しすぎてあんまりというかほとんど覚えていない

途中9点差が再び4点差に戻したところは誰が何をしたのか、そしてどうなって誰がトライをしたのか全然覚えていない

気が付いたら、敵陣ゴール前で立教がノットストレートをした場面になっていた

スクラムを組み、モールに持ち込み、相手の反則 そしてまたモールを組んだ 既に時計はロスタイム 何度もぐちゃぐちゃな状態になりながらも44分に清水レフリーの右手が高々とあがりトライを宣言

天にこぶしを突き上げ抱き合う成蹊、崩れ込む立教 まさに天国と地獄


正直 学生を信じなければならない僕でさえ9点差となった時点で諦めていた

学生が地面に突っ伏して泣きながらいつまでも動かない姿はもう見たくないと思っていたはずなのに、あの展開からまさかの逆転勝ちを収めてくれるなんて考えられなかった

試合中不甲斐ないプレーや抜かれまくっていたタックルに興奮して凄まじい怒声を上げていたはずなので、それらを謝らなくてはならないね

『勝てば官軍』

『終わりよければすべて良し』

日本には色々なことを一瞬にして水に流すことができる素晴らしい言葉がある それらの言葉の力を借りて今年を締めくくれれば良いと思っている


4年生たちは17日の神戸での甲南大学との定期戦を最後に大学ラグビーの公式戦が全て終わる


有終の美を飾れる様な素晴らしいラグビーを4年生全員で見せてほしい

2016.12.13
SRFC
GM Taro.S

色々な日

投稿日時:2016/12/08(木) 01:00

12月8日は歴史的に色々なことが発生した日である

1941年 太平洋戦争開戦(真珠湾攻撃の日)
1963年 力道山が赤坂のナイトクラブ(ニューラテンクォータ)で刺された日
1980年 元ビートルズのジョン・レノンがNY自宅前で射殺された日
1991年 ソビエト連邦消滅、独立国家共同体となった日
1994年 アントニオ・カルロス・ジョビン命日
2005年 AKB48の第1回公演日
2199年 宇宙戦艦ヤマトがイスカンダルより地球に帰還した日


どちらかと言うと明るい話題ではなくネガティブなイメージが強い日である

特に、旧ソビエト連邦が消滅するなんて考えられない出来事であったが、当時は社会主義経済には無理があったと経済学者による解説が頻繁に行われていたが、今では自由主義経済に閉塞感が漂い始めており、この先グローバルな世界情勢がどうなっていくのかとても不安が増す一方である

まぁ後半の2つは歴史的な出来事ではないし、宇宙戦艦ヤマトのことは架空の話ではあるのでどうでも良いと言えばどうでも良いが・・・


今の若者にとって何を基準日とするか、つまり何かを始めようとか何か結論付けようとしてしまうような自分やその世代にとっての価値の基準日ということであるが、そもそも人生の中で自分自身はもちろんのこと、身近な人でも人生において何かをひっくり返されるような出来事に遭遇していない世代にとっては、何か心の奥底にある基準日と言う概念すら発生しないかもしれない・・・・誤解が生じないように述べるが、阪神淡路大震災と東日本大震災等の激甚災害の実体験者はこれは全く当てはまらないと断言しておく

そういう意味では12月8日と言う日は太平洋戦争の開戦日としてどうしても記憶させられている我々世代にとっては、この日を基準日として何かをしよう、表現しようとすることでは『選ばれてしまう日』となってしまうのかもしれないと勝手推察しているが、漫画『YAWARA』の主人公猪熊 柔や、TVドラマ『半沢 直樹』の主人公半沢 直樹の誕生日 も今日であり、YAWARAの作者浦沢直樹氏は1960年生、半沢直樹の原作者池井戸潤氏は1963年生、AKBの生みの親秋元 康は1958年生、宇宙戦艦ヤマトの原作者松本 零士に至っては戦時 中(1938年生)、つまり我々以上の世代なので僕の推察もあながち間違っていないと勝手に感じている


これから、我々日本人の中で何が基準日となるのか、これから将来の出来事にどのようなことが起きるのかとても気になってしまうが、歴史を顧みた際に基準日となった『あの日』の出来事がとても明るい話題であることを願っている


それから、アントニオ・カルロス・ジョビンって誰だよ!って思われた人も多いと思うけど・・・彼はブラジルの作曲家でブラジル音楽ボサノヴァの創生者であり、名曲『イパネマの娘』の作曲家である ボサノヴァ好きな僕にとっては特別な日です

イパネマの娘はビートルズのイエスタデーに次いで世界で2番目にカバー曲が多いとされているので耳にしたことがある人は多いと思うし、リオパラリンピックのマスコットの『トム』は彼の愛称からとられたものなので、彼がブラジル人からどのくらい愛されたか理解できると思う


さて・・・

1941.12.8 真珠湾攻撃が成功した時に使われた暗号は『トラ・トラ・トラ』で、暗号の意味は『我 奇襲に成功せり』であった 

2016.12.11  入替戦も『トラ・トラ・トラ 我が成蹊は入替戦に勝利した』という文章をFBやTwitterで大いに知らせたい



2016.12.8
SRFC
GM Taro.S

 

僕の好きな往年の名選手Vol.1

投稿日時:2016/12/06(火) 00:00

今、仕事中なのだが、入替戦のことを考えると色々なことに思いが募り、居てもたってもいられなくなるので・・・・・子供の頃に憧れた選手を紹介したい


(1)ジェラルドデーヴィス(Gerald Davis)
1970年代のウエールズ代表のWTB
・当時レッドドラゴンと言われた世界最強チームのウエールズ代表
・彼よりもガレス・エドワーズ(SH)、フィル・ベネット(SO)、JPRウイリアムズ(FB)、JJウイリアムズ(WTB)といった面々の方が有名なのだが、僕は外人としては小柄(170cm)ながら人に強く、しかも足も速いデービスの方が圧倒的に好きだった
・1975年、この最強ウエールズが日本に遠征をしてきて、最終戦の国立競技場で日本代表を6vs82でぼこぼこにして帰っていき、その時にトライを量産していたのがジェラルド・デービスだったことは覚えている

(2)シド・ゴーイング(Sid Going)
1970年代のNZ代表のSH
・今の様にW杯があるわけでもなく、またTV中継も行われなかった時に奇跡的にどこかの放送局がNZvs南アのテストマッチを放映していた・・・あとから判ったことだが、この試合は当時アパルトヘイト政策でテストマッチを組むことができなかった南アに対してNZ代表が非公式に南アフリカ遠征を行った際の試合だったらしく、その後、この遠征に参加したNZの選手たちがunhappyな立場になったと言う話を聞いたことがある
・彼のプレースタイルはSHらしくパスをするというよりも自分で走り回ったりキックをして前に進めていくというどちらかというと勝手なタイプ・・今なら代表にえらばれないかも知れない
・当時、ラグビーの国際試合では乱闘シーンがお決まりのようにあって、この試合も当然に大柄なFwの選手達がタッチライン際で殴り合いをしていたところに、どこからか矢のように走ってきて相手選手を殴り倒し、また矢のように走り去っていったのが彼でそれがすごく印象的だった
・苗字や喧嘩早いところが僕と似ているのでずっと覚えている選手

(3)藤原 優
日川-早稲田-丸紅WTB
・大学入学時点ではCTBだったが、2年時の途中からWTBに転向、1学年上のFL石塚主将、FB植山と早稲田黄金期を代表する選手で、1975年日本選手権近鉄vs早稲田、坂田vs藤原の新旧WTB対決でトライ寸前の肉離れのアクシデントが思い出される
・平尾誠二氏に抜かれるまで最年少日本代表選出記録を有していた日本を代表するWTBで100mを10秒台で走り、かつ鍛え抜かれた上半身でタックラーをかわすというか吹っ飛ばしながら豪快に走り抜けていく当時のあだ名が『アニマル』
・おそらく今いたら間違いなく日本代表に選出されW杯で大活躍してトライ王になれると思っている

(4)ジャン・ピエール・リーヴ(Jean.Pierre.Rives)
1980年代のフランス代表主将
・ポジションはフランカー、金髪をなびかせ180㎝に満たない小柄な体ながら鋭いタックルと高い運動量のシャンパンラグビーの体現者、常に先頭に立って身体を張り続けていたまさに『闘将』という言葉がぴったりの選手
・彼には誰もが知っている有名な言葉があるので、この機会に彼の母国語であるフランス語で記載したい
『Le rugby permet aux enfants de jouer comme des grands et aux adults de redevenir des enfant』 ラグビーは少年をいち早く大人にし、大人にいつまでも少年の心を抱かせる
本当に名言だと思う


色々と思い出していると懐かしくなってくる


当時ラグビーマガジンは季刊(3か月に1回の発売)だったので情報収集に飢えていただろうし、ビデオも普及していなかったので自分の心と目に何とか焼き付けようとしていたので鮮明な記憶として残っているのかもしれない


あのころの様に純粋にラグビーを思い、追及していた自分ではなくなってしまったが、自分にとって家族の次に大切な成蹊ラグビーについては常に真剣に向き合いたいと思っている


2016.12.6
SRFC
GM Taro.s
 

入替戦

投稿日時:2016/12/01(木) 00:00

今シーズンも入替戦への出場が決まった 決まったと言う表現はまるで望んでいた時に使う様な感じがするが、そうではなく残念な決定であることは否めない
 
対抗戦に所属しAグループで入替戦に出ないということは国内でもかなり強豪校に類するということで誇らしい気持ちになるが、逆にBグループで入替戦に出られないとなると成蹊としてはチーム状態はかなり悪いということで深刻な気持ちになってしまう
 
それにしても・・・対抗戦がABグループに分かれてから、おそらく、うちと立教くらい入替戦に出ているチームはないと思う
 
その両校は今回で6度目の対戦となり、過去の戦績は成蹊の3勝2敗 
 
今年も死闘となりそうだ
 
 
ちなみに成蹊が過去の入替戦に出たときの戦績は以下の通りである
 
①2001年12月8日@秩父宮 主将:立松兄
対戦校 青学大12vs46 敗戦
②2003年12月14日@熊谷 主将:立松弟
対戦校 立教大10vs22 敗戦
③2004年12月11日@熊谷 主将:三添
対戦校 青学大5vs76 敗戦
④2005年12月10日@熊谷 主将:山口
対戦校 青学大24vs29 敗戦
⑤2006年12月10日@熊谷 主将:大友
対戦校 立教大13vs8 勝利(初昇格)
⑥2007年12月8日@熊谷 主将:土井内
対戦校 学習大57vs7 残留
⑦2008年12月14日@熊谷 主将:藤巻
対戦校 成城大40vs7 残留
⑧2009年12月12日@熊谷 主将:池田
対戦校 明学大31vs3 残留
 
2010年は対抗戦Aグループで2勝を挙げたため入替戦出場せず
 
⑨2011年12月10日@熊谷 主将:大森
対戦校 立教大5vs25 降格
⑩2012年12月9日@熊谷 主将:尾上
対戦校 立教大15vs7 再昇格
⑪2013年12月7日@熊谷 主将:井上
対戦校 明学大30vs35 降格
⑫2015年12月12日@熊谷 主将:石田
対戦校 立教大45vs8 再昇格 
 
 
面白いデータを見つけた 
 
過去10年間の日曜日に行われた入替戦において成蹊は負けたことがない
 
2011年も2013年も降格の年は土曜日である
 
2016年12月11日は日曜日
 
学生たちよ 自信を持って戦おう!!
 
 
2016.12.1
SRFC
GM Taro.S
 

良い肉の日

投稿日時:2016/11/29(火) 00:00

まず、本題に入る前に・・・本日は奥大使の命日(2003年11月29日)となります
 
奥大使(奥克彦氏)は、外交官を目指すために早稲田大学ラグビー部2年生で退部、在学時に外交官試験に合格されました
 
入省後英国留学中、オックスフォード大学のブルー(ケンブリッジ大学との対抗戦メンバーの称号)にも選出されるほどプレーヤーとしての評価も高く、また、ラグビー日本協会の国際委員会の委員として日本ラグビーの海外活動を積極的にサポートをされてきた方でもあったそうです
 
英国の日本大使館参事官としてイラク平和復興活動中、会議予定地のイラク北西部の町ティクリートに向かう途中、テロリストの凶弾に倒れ無念の殉職をされた悲しい日です
 
清宮監督時代の早稲田ラグビー部の標語『ULTIMATE CRUSH』が奥氏の発案であったことは有名な話です
 
日本ラグビーの素晴らしさを世界に発信し、同時に世界の平和を願いながら、その活動中に志し半ばにして凶弾のために亡くなられた奥氏を偲び、皆でご冥福を祈りながら合掌をしましょう
 
 
 
さて、本題
 
 
今日11月29日は『1129=良い肉の日』 そんな日ですから、僕のお勧めのお肉の名店をいくつかご紹介させてほしいと思います
 
まずは、焼肉系
塩ホルモン好ちゃん神田本家(JR神田駅徒歩10分)、飯田橋分家(JR飯田橋駅徒歩2分)、中目黒店(東横線中目黒駅徒歩7分)
 
今やどの町にでもあるホルモン焼きだが、それをここまで広めたのはこの『好ちゃん』といっても過言ではない・・・ホルモン以外のカルビやロースももちろん、ミート系のパスタや〆のちゃんぽん麺も格別な味わい  これからの季節にピッタリなもつ鍋も提供できるお店なので忘年会幹事を任された方は迷わずこの店を選びましょう
 
次に、イタリアン
☆Trattoria TantaBocca(2008)
トラットリアタンタボッカ 北参道にある『肉イタリアン』発祥ともいえるお店
☆Bistro CarneSio(2011)
ビストロカルネジーオ 恵比寿にあるお肉(Carne)を塩(Sio)で食べましょうをコンセプトにした人気店
☆Trattoria Macco(2012)
トラットリアマッコ 内神田にあるこじんまりとした落ち着いた雰囲気でお食事ができるお店
☆Trattoria GranBocca(2014)
トラットリアグランボッカ 飯田橋のランドマーク「サクラテラス」にあるローストビーフの名店
☆Trattria CarneSio(2016)
トラットリアカルネジーオ 恵比寿の名店カルネジーオが満を持して大手町に出店、隣の『星のや東京』に宿泊している外国人観光客も訪れる異国情緒が味わえるお店
 
最後は今人気の讃岐うどん
☆香川一福
内神田に出店したこの店は既に東京を代表する讃岐うどん店として今年のミシュランガイドのピブグルマン部門に選ばれるほど・・・この時期ならカレーうどんで決まりです
 
 
既にお気づきの方もいると思いますが・・・・これらのお店は1996年(平成8年)に成蹊大学ラグビー部を卒業した岡田章氏が経営する㈱セレソンが運営する店舗(香川一福は他社と共同経営)で、2005年に1号店となる『好ちゃん神田本家』を出店以降順調に事業を拡大してきている
 
彼らのコンセプトは『人が好きで、肉が好き…』というシンプルな発想の下、オーナー岡田氏の柔軟な発想で店舗を増やしてきている
 
実は経営者に必要な資質は大胆さではなく、思いっきり小心者であることが重要なのだが、彼にはこの『小心者』の観念が非常に鋭敏であるように感じている 
 
それは不採算店舗の閉店の手際をみていると良く判る
 
出店コストを考えたらもったいないという発想が浮かびそうだが、それよりもずるずると悪い方向へ引きずられてしまうリスクを大胆に排除していく 
 
 
彼のこの手法は、ラグビーの試合感覚と似ている 
 
ラグビーは攻守のバランスが大切である・・・80分間ずっと攻め続けていることはない どんなに圧倒している試合でもかならず相手のペースになるときがある 
 
また、勢いを止めてしまう小さなミスに対してその処理を間違えると大きな失点に繋がってしまうこともあるし、相手の攻撃を察知して未然に防ぐことも可能である
 
これらのことを五感で感じながら進めていくのがラグビーだ 
 
単純に体と体のぶつかり合いではなく、実に巧妙な駆け引きがある
 
 
さて、成蹊大学は2016年の対抗戦Aグループを全敗で終了し、12月11日入替戦に臨むこととなった
 
しかし、これはある意味必然であり、成蹊はAグループに所属しようがBグループにいようが入替戦は逃れられない立場にある
 
つまり、この1試合は想定内の試合であり、慌てる必要はないのだ つまり心理的な準備は万全である
 
セレソン社の岡田氏が実践しているようにミスは最小限に食い止め、攻め込むときには慎重に、しかし行くときは大胆に攻めることで必ず勝利を収めることができると思う
 
 
入替戦後、岡田氏から大量の肉の差し入れが届くことを楽しみに皆で一丸となって戦っていこう!!
 
 
2016.11.29
SRFC
GM Taro.S

エリス少年

投稿日時:2016/11/24(木) 00:06

ラグビー関係者なら誰もが知っている少年の名前

フルネームはWilliam Webb Ellis 210年前の本日 1806年11月24日に英国ランカシャー州サルフォードにて軍人(近衛竜騎兵の将校)の次男として産まれ、6歳の時に父親が戦死したことをきっかけに母親や兄弟と共にラグビー校があるウォリックシャー州ラグビー町に移住してきた

ラグビー校からオックスフォード大学に進学し、大学では神学(宗教学)を学び、卒業後は牧師として各地の協会で司祭となり、クリミア戦争にも牧師として従軍した記録が残っている 

1872年 65歳で療養の地である南フランス マントンにて死去


彼の名前に因みラグビーW杯の優勝記念カップは『Webb Ellis Cup』と名付けられている


『ラグビー校内でのフットボールの試合中に興奮してボールを抱えてゴール目指して走った少年がエリス少年だった』という古い文献(証言)があるだけで、彼がラグビーフットボールの起源者、発明者であると歴史的に認められたわけではない

明確にされているのは①彼の犯したルール違反はボールを手で扱ったことではなく、ボールを抱えて走り込んでしまったことであること、②その競技はサッカーではなくフットボールだったということである(この当時はサッカーもまだ発祥していない)・・・この2つのことである


他にも色々と判明した事があるが、皆の抱いていたエリス少年の姿が崩れてしまう恐れもあるので披露しないことにした


やはりラグビーには興奮したエリス少年がボールを持って走りだしてしまったというエピソードが一番よく似合うと思うし大切にしたい


このラグビーのルーツ校であるラグビー校がこの夏来日し、8月23日 成蹊けやきグランドにて成蹊高校生とフレンドシップマッチを行ったことは成蹊学園のラグビー史に新たな歴史の1ページを付け加えたくれたことに間違えはない


2016.11.24
SRFC
GM Taro.S
 

花園ラグビー場

投稿日時:2016/11/22(火) 11:08

『東の秩父宮、西の花園』 言わずとも知られたラグビーの聖地であり、高校生ラガーにとってはあこがれの地である

第1、第2、第3グランドまであり、現在は東大阪市の公共施設として『東大阪市花園ラグビー場』というのが正式名称であるが、往年のラガーマンにとっては『近鉄花園ラグビー場』という方が馴染みがあり、近畿日本鉄道(近鉄)ラグビー部(現:近鉄ライナーズ)の本拠地となっている


その花園ラグビー場は1929年の今日(11月22日)開場され、開場式には秩父宮殿下が勢津子妃殿下と共にご出席されたとのことである

ラグビー場となる前には競馬場であったり、戦時中は陸軍パイロットの初期錬成場、戦後は米軍に接収されアメリカンフットボール場、1953年には花園ゴルフ場として利用されたりしたが、1963年から全国高等学校ラグビーフットボール大会の会場として定着した


通称『花園』では伝説と言われる試合が数多くあるが、その中でも僕の中で最高に思い出に残っている試合は第63回大会(1984年)天理高校vs大分舞鶴高校の決勝戦だ

後半終了間際に天理高校のタッチキックミスを大分舞鶴が左オープンへ展開、左隅にエースWTB田辺君が飛び込み2点差、難しい角度のGKをFB福浦君が決めれば同点となり両校優勝と成る場面、トライ後の興奮が嘘のように静まり返った中で狙ったキックがゴールを逸れたその瞬間に18vs16で試合終了

ユーミンが作詞作曲した『ノーサイド』はこの光景を題材にして作られた



成蹊高校も『花園』とは無縁ではなく過去に4回出場している

初出場は第44回大会(1965年)、1回戦で南四国代表(徳島県)美馬商工に16vs6で敗戦 

2回目の出場はその4年後の第48回大会(1969年)、1回戦は佐賀県代表龍谷高校を14vs0で破ったが、2回戦で強豪天理高校に6vs27で敗戦

3回目は第54回大会(1975年)、1回戦で強豪大阪工大高と当るくじ運の悪さで0vs27で初戦敗退

記憶に新しいのは第85回大会(2006年)、1回戦で強豪天理高校と10vs10と引き分けとなるも抽選により次戦に進めなかった
この第85回大会でSHとして出場していた池田元が現在の大学の監督である


成蹊高校が花園に出場しなくなって10年も経った

4回目の出場がその前の出場からすると31年ぶりなので、それから考えると今は『雌伏の時』なのだと思いたい

しかし、先輩方が作られてきた実績と伝統を忘れることなく、次回が31年ぶりとはならないよう少なくても5年に1度くらいは出場できるようになってほしいと心の底から願っている


2016.11.22
SRFC
GM Taro.S

対抗戦グループとリーグ戦グループ

投稿日時:2016/11/17(木) 00:47

関東大学ラグビーには現在2つのグループが存在することは、少しラグビーに詳しい人であれば誰でも知っていることである


でも、何故そうなったのかをしっかりと説明できるかというと誰もが怪しくなる


そこで今回は、特に現役部員に対してその歴史と経緯を知っておいて欲しいという思いからコラムに載せることにした


明治32年に慶應義塾大学が日本で初めてラグビー部を創立、これを皮切りに日本全国の大学でラグビー部が続々と創部され、お互いに定期戦を行うようになり『対抗戦』という概念が出来上がった

ちなみに我成蹊大学は旧制高校時代の大正12年にラグビー部が設立され日本で8番目に古いラグビー部である


関東では、昭和3年より慶応・早稲田・明治・東京・立教の5大学による関東大学対抗戦というものが組織化され、太平洋戦争後の関東大学ラグビーは昭和21年11月23日による早慶戦により再開され、戦後復興と共に『新興大学』が徐々に台頭してきた

昭和32年より関東大学ラグビーの対戦形式は上位、下位の2部制や全大学間である一定の規定数こなさなくては順位対象とならない対抗戦方式など改正が繰り返されたが、昭和43年に現在の『対抗戦グループ』と『リーグ戦グループ』に分かれる形となった

この成立の裏には対抗戦形式に強く固執する伝統校と総当たり戦のリーグ形式を熱望する新興校との確執があったと言われている

昭和43年分裂時点において各リーグに所属していた大学は以下の通り

対抗戦グループ:早稲田・慶応・日体大・明治・立教・東京教育大(現筑波大)・東大・成蹊・成城・青山学院

リーグ戦グループ:法政・中央・日大・専修・東洋・国士舘・防衛大・大東文化大


昭和43年に分裂後昭和61年までの18年間、大東文化大学が優勝するまでリーグ戦グループから大学選手権優勝校が出て来ることはなく、人気実力ともに対抗戦グループの方が高かった


全国大学選手権に出場する関東代表校を決めるために、対抗戦・リーグ戦の全日程終了後に両グループの上位4校が『交流試合』という代表決定戦をたすき掛け方式で行い、勝利した4校が関東代表校として全国大学ラグビー選手権に出場する資格を得ていた(昭和43年?平成4年)


対抗戦グループはリーグ戦グループの様に総当たりではなかったので毎年順位を決めるために各大学の主務による順位決定会議が行われていたが、前年度成績上位6校の中から4校以上の対戦がないと順位決定対象校とはみなされなかったので平成3年度の成城大学の様に対抗戦で7勝1敗の成績を収めたにもかかわらず交流試合に出れなかったこともあったし、また、今では当たり前のように対戦している慶応対帝京の対抗戦はABグループに分かれるまで行われていなかった

平成9年に対抗戦グループはA・Bグループに分かれ、各グループの総当たりリーグ戦形式が採用されるようになり、この年よりABグループの入替戦が始まったが当初入替戦に出場するチームは1校のみであった

その理由は明白で、当時のABグループ間の実力差が大きすぎてAグループ7位校とBグループ2位校との対戦はいわゆるミスマッチとなってしまう懸念が高かったために関東協会がそのように判断したものと思われる(今の様に2校対戦できるようになったのは平成12年から)


このような歴史的背景のもとで現在の自分たちがあるという認識の中で、先輩方が脈々と築いてきた伝統をしっかりと受け継いで行って欲しいと願っている


2016.11.17
SRFC
GM Taro.S

ちょうど1年

投稿日時:2016/11/15(火) 00:00

早いもので航己(昨年度主将 石田航己)達の代が明治学院大を撃破した日からちょうど1年経った

この代 入替戦には簡単に出場できるだろうと思って臨んだ対抗戦の第2戦vs成城大学戦、相手の激しい闘志と気魄に圧倒され敗戦したことで尻に火が付いた

それ以降の対抗戦を何とか無難に勝利を収め、この一戦に勝てばBグループの1位となり入替戦に出場が決まる重要な一戦であった

明治学院大とは対抗戦がAB2グループ制になってからの対戦しかなく、かつ、ムネ(H25年度主将 井上高宗)の代が入替戦で苦汁を飲まされたこともあり絶対に負けてほしくない相手であった


晩秋に相応しい天候の下、けやきグランドでキックオフ

前半開始早々 得意のラインアウトモールでトライを取り勢いに乗る

FWが局地戦を制し、BKも好タックルで相手の攻撃をしのいでいく

28vs14となり、逃げ切れるかと残り時間を気にした後半も終盤を迎えた時 成蹊の安易なディフェンスから相手に右隅にトライを許し、難しい角度のGKも決められ7点差 

一気に緊迫したムードとなった

スクラム、タックル、モール、ライン攻撃など両校の激しいプレーにスタンドを埋め尽くした応援席から奇声と歓声が上がる


平林レフリーの笛が高々と鳴り ノーサイド 28vs21


スタンドに向けて整列した選手を代表して、いつもは『気を付け 礼!』としか言わない口下手な航己がしっかりとした口調でお礼の言葉と入替戦に向けた決意表明をしていたことが印象的だった


本当ならば自分たちもAグループで戦いたかったはずだし、十分にAグループで戦える実力も兼ね備えていた


けれども叶わぬ夢を後輩たちに託すために対抗戦、入替戦と体を張り続けてAリーグ昇格を果たして卒業して行った航己たちの代


それを考えたら・・・

あなた方現役は航己たちの代の『代行者』として、また、彼らが残してくれたこの舞台を代々繋ぐことができるように命を懸けて守り抜かなくてはならない


入替戦を含めてあと3試合 その使命をしっかりと果たそう


2016.11.15
SRFC
GM Taro.S

Donald john Trump(1946年6月14日生 70歳)

投稿日時:2016/11/10(木) 00:00

11/8(日本時間では11/9)、4年に1度、夏季オリンピックと同じ年に行われるアメリカ合衆国大統領選挙において
米国史上初の女性大統領を狙っていたヒラリー・クリントン女史を破り、アメリカ合衆国第45代大統領となった

彼が経営する企業群は米国経済誌Forbesが選ぶ全米400社にランクインし、『米国の不動産王』と呼ばれ、自身のネーミングしたビルを世界中に所有しているセレブ中のセレブである


大統領選に出馬し予備選を経て共和党候補になるまでは、実業家と言うイメージが強く、失言が多いので政治家には向いていないと言われていた


それにしても今回の大統領選ほど世界中がまるで自国の大統領(首相)でも選出するかのようにマスコミ等の媒体を通じて取り上げたことはなかったと思うし、その結果、大半の人々の予想と期待を裏切った形となった


為替と株価にその反応がすぐに表れたことからも、英国のEU離脱(2016.6.23)と共に日本にとっては衝撃的な出来事になった


これらの事象は世界的な閉塞感の象徴的な出来事であると思っている


我々戦後の日本人は『安全と水はただ』という観念に包まれ『平和ボケした国民』と言われ続けている


今回のトランプ大統領の出現により、しっかりとした『国体意識』の下での自立が促されているのではないだろうか


ラグビー部員には、この機会に『日本人であること』、『世界の中の日本の立ち位置と今後どうあるべきか』など経済的、文化的、そして歴史的など様々な観点から大学生として自分自身の考えをしっかりと持つように勉強をして欲しいと思っている



2016.11.10
SRFC
GM Taro.S

昔話

投稿日時:2016/11/08(火) 00:00

今から30年前の今日(1986.11.8)
僕たちの代(板井主将)が帝京大に勝利を収めた日だ
 
後半終了間際に同点に追いつかれた
 
リスタート地点に戻りながら僕は昔のことを思い出していた
1年生の時、対抗戦初戦で日体大に116vs0、続く2戦目帝京大に102vs3で大敗した
 
春夏と順調に仕上げてきて、強いと思っていた先輩たちの戦いぶりを見て、『自分たちが4年生の時にはこんな戦い方はしたくない』と同期で毎日のように深夜遅くまで熱く語り合っていた
 
でも僕達の代以上にそれを切実に感じていたのは3年生の先輩方だった
 
その翌年、飯田主将の代 まさに成蹊の分岐点、今の成蹊のスタート時点だったと(僕は)思っている
※種々思うことがある先輩もいらっしゃると思いますが、拙感としてお許し下さい
 
練習は過酷を極めていた、本当にきつくて辛かった  
 
まず、ランパス10往復から練習が始まり、その後FWBKに分かれ、FWはスクラムを死ぬほど組んで、BKはひたすら走ってタックル 中締めにフォロー最低10往復(まぁランパスみたいなもの)があり、FWBKのコンビネーション(今でいうチームランみたいなもの)をして、締めはコーナー最低10往復(これもランパスの別称みたいなもの)が待っていた これが毎日・・・土日にOBが来ると本数が無限になった・・・
 
 
19vs19になったリスタート
 
成蹊は『死ぬ気』になった あんなにきつくつらい練習をしてきた俺たちが負けるはずがない、誰もがそう信じてロスタイムに臨んでいた
 
自陣10mと22mの中間地点で帝京がペナルティを犯す ラストワンプレーだ・・・『ジャパン、ジャパン』皆が同じサイン名を叫んでいた
 
激しい攻防の中、最後にWTB広瀬が左隅に飛び込み、難しい角度のGKをFB清水が決めた
 
そして、ノーサイド 25vs19 
 
グランドで、そしてスタンドで全ての部員が天にこぶしを突き上げていた
 
 
あれから30年経った ラグビーのルールもプレースタイルも変わってきている それは当然理解している
 
けれども 学生たちよ
 
体がでかくてラグビー経験豊富な上手い奴ばかりのチームが勝ち続けるのがラグビーじゃないはずだ
 
死ぬ気で走ってスクラム組んでタックルし続けた奴らが勝利をつかみとるのだと思いたい
 
理屈じゃない
 
対抗戦はあと2つ
 
自分たちがやってきた『証し』を示して欲しい
 

 
2016.11.8
SRFC
GM Taro.S

2010年11月3日

投稿日時:2016/11/03(木) 00:10

6年前の今日 成蹊が日体大に初めて勝利を収めた日だ

自分の目の黒いうちにあの日体大に勝つ日が来るなんて・・・まさか考えたこともなかった 


あの日の三沢競技場は晴天に恵まれ、普段ラグビーに使われることの少ない芝生の緑色はとても鮮やかだった

細かい試合内容はよく覚えていないが、新井容の交代で途中から出場したプロップの齋藤(サイケン)が4年生の意地を見せて随所に頑張っていたことと、後半ロスタイム自陣ゴール前で日体大の猛攻に晒されている最中にWTBの選手がコンタクトが外れたと戦列から離れてきたので思わず暴言を吐いたことははっきりと覚えている

成蹊13vs日体大8  まさに死闘 


感動と興奮で泣きそうだったが、学生たちに涙は見せられないと思い、目のあたりに力を込めつつグランドでクールダウンしている彼らに会いに行った

小林大輔とがっちりと握手をした後、身体を張り続けたに違いない傷だらけの落合ノブの姿を見とめた途端に不覚にも涙腺が崩壊してしまった


その日は、桜木町『萬里』で超OB連からの祝福を受けた後、六本木『八百長Bar』に繰り出し、最後は深夜の六本木通りでOBの中澤君と共に学生たちと部歌を大声で歌わせてもらうことができた


至福の一日だった


主将 小林大輔 チームスローガン As One

スローガン通り、小林主将を中心に良くまとまった爽やかで強いチームだった


2016.11.3
SRFC
GM Taro.S
 

今日から11月

投稿日時:2016/11/01(火) 00:00

ラグビー関係者にとっては勝負の11月、大事な試合が続いていく

11月は一般的には霜月と呼ばれている

『霜が降りる月』だから霜月と言うのだそうだが、11月に霜が降りるか?と、思ってしまうのは私だけではないだろう・・特に、近年の温暖化による気温を考えると違和感を覚えてしまう


これは旧暦が関係しているそうだ

旧暦では冬は10月、11月、12月(現代の新暦では12月、1月、2月が冬だ)

旧暦の11月は、現代の11月後半から1月初旬であったとのこと、これなら霜が降りていても不思議はないので霜月と言われるのも納得できる


11月を別の呼び方で面白くて相応しいのはないかと探してみると

『神帰月(かみかえりつき)』とも言われているそうで、これは10月(神無月、出雲地方だけは神有月)に出雲大社に集まった諸国の神様が自分の治めている国に帰ってくることからそう言われているそうだ


こっちの方が11月の別の呼び方として断然に相応しく思えてきた


吉祥寺界隈を治めている八百万の神々さま

『出雲大社ではお疲れ様でした
お疲れのところに大変恐縮ではございますが、お戻りになられたのですから、今月からの成蹊の戦いにどうか勢いと力を与えてくださいませ』



2016.11.1
SRFC
GM Taro.S

今日から読書週間(11/9まで)

投稿日時:2016/10/27(木) 00:42

元は1924年に日本図書館協会が制定した11/17~11/23までの図書週刊だった。

1939年戦争の影響で廃止となっていたものを1947年読書週間実行委員会が結成され、その第1回目が11/17~11/23の「読書週間」として再開され、2回目よりは1週間では短くてもったいないということで、文化の日(11/3)を挟む今の期間の10/27~11/9ということで現在まで続いており、今年で70回目を迎えたらしい。
※現在では委員会から「読書推進運動協議会」となっている。

とまあ細かいことはおいておいて・・・・

ラグビ―部員には読書を習慣づけて欲しいと思っている。

通学(通勤)中に電車内で携帯をいじりゲームに没頭している人を見ると悲しくなる。
時間の無駄遣いをしているとしか思えない。

人によっては混雑時のイライラ解消手段、リラックスする手段についてとやかく言われたくないと思う人がいることは理解しているが・・それにしても『ゲーム』はないと心底思っている。

『本』は見聞を広めることはもちろんであるが、想像力を高めることに寄与し感性が豊かになり、人間力を高めることの一助になるはずだ。
今は電子書籍などの発達により、本屋で本を探すのが苦手という人にも、より本を読みやすい環境となっている。

どんな本を読めば分からないという人には、『本屋大賞』で選ばれた本を読んでみることを勧めたい。
本屋大賞とは2004年に設立された、本屋大賞実行委員会が運営する文学賞である。
一般の文学賞とは異なり作家・文学者は選考に加わらず、「新刊を扱う書店(オンライン書店を含む)の書店員」の投票によってノミネート作品および受賞作が決定されるというものであり、「面白いからみんなに読んでほしい」と思って選ばれるという経緯が面白いのだ。
ドラマ化や映画化されるものもこの本屋大賞で選ばれた作品が多いのも特徴である。


秋の夜長、練習後の疲れた身体を労わる手段、時にはぐっすり眠れる睡眠薬代わりとしてこの機会にどうか読書を始めて欲しい。


2016.10.27
SRFC
GM Taro.S

秩父宮ラグビー場

投稿日時:2016/10/25(火) 00:30

言わずと知れたラガーマンの聖地である

僕がこのラグビー場を初めて訪れたのは1971年日本vsイングランドのテストマッチ3vs6という歴史的な大熱戦を観戦した時である

当時8歳
観客が入りきれずに芝生のグランドまで人が溢れていた・・・

試合内容よりも隣の席に座っていた国歌を演奏する楽団の人のトランペットが妙に気になってしまい、
そのトランペットの吹くところをトランペットから抜いてしまい、楽団員を慌てさせた挙句に父親にこっぴどく怒られたことを覚えている

その後、少年ラグビースクールと言うのが秩父宮で行われていたので父親に無理矢理連れてこられ入会したが、仲間に馴染めずに嫌々通っていた・・・おそらく、通ったふりしていかなかった方が多いと思う



秩父宮ラグビー場に関連したことをを調べてみると・・・

戦前におけるラグビーの試合は明治神宮競技場(旧国立競技場の前身)で行われていたらしい

戦後、焼け野原となってしまった東京でラグビー専用のグランドを造ろうということとなり、米軍に接収されていた青山の女子学習院の跡地を譲り受け、1947年に東京ラグビー場として開場となった 

秩父宮ラグビー場と呼ばれるようになったのは1953年に薨去された秩父宮壅仁親王を偲ぶために改称されたのだ

秩父宮殿下は日本ラグビーフットボール協会名誉総裁であったこともあり、建築中から足繁く現場に通われて工事関係者に色々とご助言をされていたそうである


秩父宮殿下にはもう一つの逸話がある
関西地方へ視察された際に、現在の近鉄電車に乗車中、ここらへんにラグビー場を造ったら良いのではないかとの発言があり、それが今の花園ラグビー場〈東大阪市)の開場のきっかけとなったらしい

そんな秩父宮ラグビー場も2020年東京オリンピックのメイン会場となる新国立競技場の駐車場用地として2019年ラグビーW杯が行われた後に取り壊されることが決まっている


青山の女子学習院が米軍に接収された後に米軍関係者の駐車場として利用されていたことを知るとラグビー場に係る因果関係のようで何とも言えない気持ちになってしまった



2016.10.25
SRFC 
GM TARO.S

今日 10/20という日を調べてみると

投稿日時:2016/10/20(木) 00:24

wikipediaで調べてみると・・・・

1885年10月20日 日本がメートル条約に加盟した日となっていた

フランス革命以降、国際会議で半ば強制的にメートル法が主流となったが、それまでは国によって度量手段は様々で、
同じメートルでも長さが違っているなど統一された長さは制定されていなかったらしい。

当然、ラグビー発祥の地である英国ではヤード表示が当たり前であったので、近年までラグビーもヤード表示(yd)であったのは言うまでもない。

昔 グランドには 横にHalfWayライン、10ydライン、25ydラインが引かれていた。

1ヤードは0.9144m らしいので25ydはメートル換算で≒22mとなって・・・
1977年から25ydラインは22mライン表示となった。


22mラインに関連されるラグビーのプレーとしては次の3つだろう

①ドロップアウトのスタート地点

②その内側ならばフェアキャッチ(=マーク)できる

③基本的にはキックをダイレクトで出せる地域

①は昔から変わっていないが、②と③は昔と大きく違っている。

昔は自陣であれば相手のキックをどこでキャッチしても大きな声で『マーク』と叫べばフェアキャッチが認められていたし、その反面、ペナルティキック以外自陣の何処から蹴ってもノーバウンドでタッチを割ったキックはダイレクトタッチとなって元の地点に戻されていた。
ただし、『マーク』はしっかりと両足を地面につけていないと認められなかった。

このように時代の流れやその時々の勢力図によってラグビーもプレースタイルなどが大きく変遷して行っている。

ルール改正も頻繁に行われているが、成蹊は時代の流れに乗り損ねないようにしっかりとした基盤と組織を兼ね備えて行かなくてはならないだろう。



2016.10.20
SRFC 
GM TARO.S

ボール

投稿日時:2012/09/24(月) 06:57

かれこれ20年以上も前のこと。
まだラグビーボールが革製の時代、それをピカピカに磨くのに苦労した。
擦れた皮革製品は本来は綺麗に光るものではない。
それでも、ひとつでも磨きが悪ければ1年生全体のバツ練は当然の掟。
私の大学時代、入学時は皮革ボール全盛で、卒業時はラバー製主流だった。
今思えば最後のボール磨き世代だったということ、光栄である。

皮革ボールの上級モデルといえばSCEPTREはmodel1000、CONVERTならば777。
こいつらを光らせるために、練習で渇いた口からツバを吐いては、小汚い手垢か消しゴムのカスみたいなものを量産した。ひたすら指先でこすり続ける純度の高い手仕事。
仕上げに軍手を使う派がいたり、あくまでベアハンドの手仕上げ派がいたり。
どこかのチームがバナナを使うと聞けば邪道と思いつつ試し、母親の使い古しのパンストすらも、恥ずかしげもなく手に巻いた。
ツバを吐きかけられようとも、ピカピカに磨かれたボール。
絶対に本望であったはずだ。

現在のような白いラバーボールがデビューしたのは1987年の雪の早明戦の頃であったように思う。それ以前にも皮革の白いボールはあった。おそらく昭和55、6年頃は、日も暮れればコンビネーションなどの練習には、妙にツルツル滑るメーカー製の皮革の白ボールが登場していたはずだ。

しかし、それより遡ること5、6年、昭和50年頃の世田谷八幡山。
ご存知、明治大学のグランド。
当時の東京の、いや全国高校ラグビーの雌雄を争っていた2チームは、多い日で1日に16ハーフをやっていたという。日も暮れてボールも見えない・・・知恵を絞った名将二人はボールに白いペンキを塗った。これが本当に最初の白ボールのはじまりである。

夕刻まで酷使されるためだけに、全身に白ペンキを塗られたボール。
薄暮のグランドの最後のハーフ4本くらいでその白い存在を明確にした。
本望であったに違いない。

その薄暮の八幡山でボールに白ペンキを塗っていた高校のひとつ。
その年、ボール磨きをやめた。磨く時間と、空気を抜く時間、また空気を入れる時間。それを励行することの不確定な寿命や卸値、個数と「練習時間」との関係を考えたらしい。
きっぱりやめた。その年全国優勝した。
決して磨いて貰えなかったけれど、チームが全国優勝した。
ボールは絶対に本望である。

さて、最近のとある県の高校の練習最中に目にした光景。
グランドのネットのむこうの茂みに、以前から放っておかれたであろうひとつのボールがあった。発見した監督は烈火のごとく怒鳴った。

「お前らぁっ! ちょっと来い! これでこのボールが本望だと思うか?!
ラグビーの道具はなぁ、本当に大切にしろ!!」

監督は高校時代、八幡山を走っていた。
明かせばボールに白いペンキを塗った名将の教え子であった。
雨の中、気付かれもせず放置されたボール。
絶対に本望であるはずはない。

ボールよ、本望か?
今はツバで磨かれることもなくなったボールへの愛情表現は、チームjが勝つこと。
そして、その存在を認識し決して紛失しないことだ。
実に簡単明瞭なことである。

たった今、ふと頭に浮かんだT先輩の顔。
1年生の時にグランドの隅から雨ざらしのボールが見つかると、バツ練習係であった1学年上のT先輩と、特定できぬ同期の放置犯が恨めしかった。
遠いようで近い20年以上も前の記憶は、ツバの擦れた皮革の香りと暗がりでのキックダッシュ。

改めて思う・・・やはりラグビーやってて良かった。

新宿の男。

投稿日時:2010/10/03(日) 01:12


その日、雨の狭間の緩い陽射しの中、私は妻と蕎麦屋にいた。オーダーは「カレーライスと蕎麦のセット」
妻との会話の切れ目に、ここぞとばかり直前に購入したラグビーマガジン11月号を開く。
 
いつものとおり、まずは目次をめくり藤島大さんのコラムを...それは目を射られるごとくいきなり飛び込んできた。緑の上に躍る「黒と赤」。まぎれもなく、成蹊のジャージだった。題名には「新宿の男。」とある。
まさか!落合信之!本人でなくとも刺激的な大文字。
 
私の知る後輩が、コラムで取り上げられ賞賛されること。それもラグビーマガジンの「DAI HEART」。
嬉しいじゃないか。我が幸運のごとく、天に、いや何より「藤島大」に感謝する。
 
2010年度開幕戦。猛虎に勇敢に刺さり続けた「成蹊の男。」たち。 落合のみならず、「石神井の男。」亀井の奮闘、三浦豪と三浦嶺の切れ味鋭いプレーも、その気持ち込めたプレーが取り上げられた。残念ながらその日の私はテレビでの観戦であったが、画面から伝わる成蹊ラガーの気迫にひたすら痺れ、震えた。横で見ていた正座の小学3年生坊主は幾度も叫声を上げた。
 
J SPORTSの解説は藤島大さんであったから、当該コラムについては「目利きのライター」に訴える機会があった幸運は強運のうち。しかし、私に身内の贔屓が混ざることは承知で、それでも尚、縁の下のスタッフ含めた全員であの日を迎え、立派に健闘したことに間違いはない。
 
ラグビーマンとして名前が活字になることとは...。ともすれば、その分岐点は著名であるか否かに偏りがちである。しかし、これまでの藤島氏のコラムを見れば、煌びやかなビッグネームに偏ることはない。むしろ、その他多くの無名なラグビーマンや、大舞台の脇にたたずむ偉大なサイドストーリーにこそ、筆が滑らかであると感じるのは素人の邪推ではあるまい。
 
こんな私の駄文がなんの影響も持たないことを知りつつ。よきラグビーのエッセンスを紡ぐ、珠玉のラグマガコラムをまとめた「大魂」(藤島大 ベースボールマガジン社)はお勧めである。その大味(失礼!)な書名からは想起され難いけれど、プレーする者、観る者、そして指導する者のすべてを揺さぶるコラムがいっぱいである。そのひとつひとつは、必ずや多岐にわたるヒントとエネルギーをもたらすはずだ。私のような「ラグビー阿呆」に、人生の一大決心させるくらいの琴線破壊力は十分である。
 
改めて思う。寛容と観察力に富んだ人間の思いがそのまま文章になったなら、そのコラムの力は強大だ。
あの「新宿の男。」に登場した、「著名ではなくとも偉大な」他校のラグビーマン達にも、大きな力をもたらしたに違いない。

落合信之よ、コラムの件は従兄弟に知らせたか?!そして「大魂」は読んだか?!
 
私はあの日の「カレーライスと蕎麦のセット」の味を覚えていない。
 
 
余談...私は高校時代に都立新宿高校と対戦したことがある。トイメンは激しくあたり、しぶとく絡んでくるいやなLOだった。その見覚えのある顔は試合中に思い出された。野球部であった中学時代に対戦した、新宿区立淀橋中学のキャッチャーだった。私にとっての「新宿の男。」は、ただ書きたくなった遠い記憶である。

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